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拓跋 崇(たくばつ すう、生年不詳 - 453年)は、北魏の皇族。建寧王。
明元帝の子として生まれた。422年(泰常7年)4月、建寧王に封じられ、輔国大将軍の位を加えられた。439年(太延5年)、長楽王紇奚敬とともに2万人を率いて漠南に駐屯し、柔然に備えた。443年(太平真君4年)、太武帝が魏軍を4道に分けて北伐すると、拓跋崇は15将を率いて東道を進み、柔然軍を撃破した。453年(興安2年)、京兆王杜元宝とともに反乱を計画し、子の済南王拓跋麗とともに死を賜った。
- 『魏書』巻17 列伝第5
- 『北史』巻16 列伝第4