コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

持明院基哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大正天皇即位大礼の典儀官時の持明院基哲(1915年)

持明院 基哲(じみょういん もとあき、1865年3月9日慶応元年2月12日[1])- 1925年大正14年)6月19日[1][2])は、明治から大正期の歌人政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・石野、幼名・浅麿[1]

経歴

[編集]

山城国京都治部省大輔石野基佑の二男として生まれる[1][3][4][5]1881年(明治14年)3月、先先々代持明院基和の死後養子となり、同年7月28日、先代・持明院福子(富小路貞直二女、持明院基政夫人、基和養母)の隠居に伴い家督を継承[1][3][4][5]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3][4][5][6]

1882年(明治15年)1月、京都宮殿勤番に任じられ、その後、殿掌を務めた[3][5]1906年(明治39年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]1911年(明治44年)7月9日まで1期在任した[2]

人物

[編集]

優れた歌人であり、歌会始で披講の発声を担当した[9]。書の達人でもあった[9]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』755-756頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。
  3. ^ a b c d 『大日本華族大鑑』52頁。
  4. ^ a b c 『大日本人物誌』ち2頁。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第7版』ち6頁。
  6. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  8. ^ 『官報』第6899号、明治39年6月29日。
  9. ^ a b 『明治大正文学美術人名辞書』421頁。

参考文献

[編集]
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 松本竜之助編『明治大正文学美術人名辞書』立川文明堂、1926年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
持明院家初代
1884年 - 1925年
次代
持明院基揚