持明院基哲
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持明院 基哲(じみょういん もとあき、1865年3月9日(慶応元年2月12日[1])- 1925年(大正14年)6月19日[1][2])は、明治から大正期の歌人、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・石野、幼名・浅麿[1]。
経歴
[編集]山城国京都で治部省大輔・石野基佑の二男として生まれる[1][3][4][5]。1881年(明治14年)3月、先先々代持明院基和の死後養子となり、同年7月28日、先代・持明院福子(富小路貞直二女、持明院基政夫人、基和養母)の隠居に伴い家督を継承[1][3][4][5]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3][4][5][6]。
1882年(明治15年)1月、京都宮殿勤番に任じられ、その後、殿掌を務めた[3][5]。1906年(明治39年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、1911年(明治44年)7月9日まで1期在任した[2]。
人物
[編集]優れた歌人であり、歌会始で披講の発声を担当した[9]。書の達人でもあった[9]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 松本竜之助編『明治大正文学美術人名辞書』立川文明堂、1926年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 持明院家初代 1884年 - 1925年 |
次代 持明院基揚 |