摂取寺
表示
摂取寺 | |
---|---|
所在地 | 熊本県宇城市小川町北部田533 |
位置 | 北緯32度36分06.4秒 東経130度43分18.3秒 / 北緯32.601778度 東経130.721750度座標: 北緯32度36分06.4秒 東経130度43分18.3秒 / 北緯32.601778度 東経130.721750度 |
山号 | 海雲山(海雲山) |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿彌陀如來 |
創建年 | 1691年(元禄4年) |
開基 | 准譽 |
正式名 |
海雲山摂取寺 海雲山攝取寺 |
文化財 |
涅槃会図 来迎仏絵図 |
法人番号 | 5330005005618 |
摂取寺(せっしゅじ)は、熊本県宇城市小川町北部田[1]に所在する浄土宗の寺院である。山号は海雲山。
概要
[編集]開基
[編集]元禄4年(1691年)4月9日、肥後国八代町の荘厳寺住職准誉により開基される。
開基以前
[編集]応仁の乱後の戦国時代、天文年間から弘治年間(1532年 – 1558年)にかけて、兵乱により大破し、寛文年間(1624年 – 1644年)に再建されたとの伝えがある。阿蘇家の古文書には「天文19年(1550年)12月8日阿蘇惟豊は益城郡内の守山のうち、摂取寺3町を宛てがっている」との記述がある[2]。また、一切経(黄檗版大蔵経(鉄眼版))で知られる黄檗宗の禅僧・鉄眼道光の事を記した「鉄眼禅師行実」には、鉄眼は、寛永19年(1642年)の13歳の時より17歳まで、摂取寺の海雲和尚について仏教の勉強をした、とある[3]。
以上のことより、准誉による開基以前より、何らかの形で僧職が宗教活動を行なっていたことがわかる。それらの活動を含めると、寺院の歴史は少なくとも500年以上に及ぶと言われている[4]。
行事
[編集]- 1月25日 – 法然上人の御忌会(ぎょきえ)
- 2月15日 – お釈迦様の涅槃会(ねはんえ)
- 4月8日 – 花まつり
- 8月25日 – お施餓鬼会(せがきえ)
- 9月18日 – 清水観音祭り
文化財
[編集]その他
[編集]- 境内
脚注
[編集]- ^ 旧下益城郡北部田村、小野部田村北部田
- ^ 小川町教友会編纂『小川のむかしばなし』小川町教友会、2001、20頁
- ^ 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979、370-371頁
- ^ 小川町教友会編纂『小川のむかしばなし』小川町教友会、2001、21頁
参考文献
[編集]- 下益城郡教育支会編纂 『下益城郡誌』 臨川書店、1922年、466頁
- 日本歴史地名大系44 『熊本県の地名』 平凡社、1985年、644頁
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、1479頁