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摩耶観光ホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
摩耶観光ホテル
ホテル概要
設計 今北乙吉
開業 1929年11月 (95年前) (1929-11)
閉業 1970年 (54年前) (1970)
所在地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市灘区
位置 北緯34度43分39秒 東経135度12分46秒 / 北緯34.727611度 東経135.21275度 / 34.727611; 135.21275座標: 北緯34度43分39秒 東経135度12分46秒 / 北緯34.727611度 東経135.21275度 / 34.727611; 135.21275
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摩耶観光ホテル跡(2009年8月)。2002年時点の画像で屋上にあった煙突は、2004年の台風で倒壊している。また、画像右側の屋上にあったタイヤのようなものも、内部に落ちたのか見受けられなくなっている。
摩耶観光ホテルの内部
「開設当時の摩耶山温泉」とされる写真(1955年出版の文献より)
摩耶ロープウェーより(2017年5月撮影)

摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて兵庫県神戸市灘区摩耶山中腹で営業していたホテル。1930年に完成し、1990年代に閉鎖された。その後は廃墟となったが、モダニズム建築としての価値が評価され、廃墟では珍しい国の有形文化財としての登録が決定した[1]

摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部[2]という名称であった。第二次世界大戦前から戦中にかけて摩耶ホテル、摩耶山温泉ホテル、摩耶山温泉と変遷し、戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶国際観光ホテルと改名された。台風被害などで1967年にホテルの営業をやめ[3]1970年(昭和45年)頃から1994年(平成6年)頃まで摩耶学生センターなどと称された。摩耶観光ホテル摩耶学生センターの頃から、「マヤカン[1]」とも通称・俗称される。設計者は今北乙吉[4]

アールデコ風のユニークな建築様式であるが、現在は廃業して廃墟となっている。内部は経年劣化による損傷が激しく危険なため、立入禁止となっていた。2017年に摩耶遺跡ガイドウォーク企画の中で外観のみ見学ができるようになった。2021年6月24日付官報にて告示され、登録有形文化財となった[5]

概要

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摩耶鋼索鉄道摩耶駅付近に1929年昭和4年)5月から建設し、11月に営業を開始[6]した。鉄筋コンクリート造で、軍艦を連想される外見から「軍艦ホテル」と呼ばれた。1944年(昭和19年)に第二次世界大戦が激化して、摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線不要不急線として運行が停止され、ホテルも1945年(昭和20年)に営業を休止した[7]

戦時中の空襲により大きな被害を受けたため復旧が遅れ、その後、民間業者へ売却されて、1961年(昭和36年)に全面改装の上で再オープン[8]。内装は1959年(昭和34年)春に大阪解体された豪華客船「ふらんす丸」[9]より装飾品などを買収して改装された[8]台風などによる被害で、1967年(昭和42年)頃にホテルの営業を休止[6]し、1974年(昭和49年)頃から学生のゼミやサークルの合宿専用の「摩耶学生センター」として転用されたが、阪神・淡路大震災(1995年)前の1993年平成5年)に学生の合宿所としての使用も停止された[10]

阪神・淡路大震災で倒壊はしなかったが、建物が大きく損傷したため立入が禁止され、ホテル脇を通る登山道も通行止とされた。

廃墟ブームで不法侵入を含めて訪れる人も多く、「廃墟の聖地」「廃墟の女王」とも称された。NPO法人J-heritageなどが地域住民や所有者と連携して建物の調査など文化財登録を目指して活動してきた[1]

2021年(令和3年)6月に国の登録有形文化財に登録[11]。なお、これにあわせて同年12月に摩耶ケーブル「虹の駅」に「旧摩耶観光ホテル前」の副駅名が加えられた[11]

現在は大阪府箕面市のエリモロジスティクスという運送会社が所有している。

ロケ作品

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特集番組

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  • 『廃墟シネマ』(2000年8月5日(土)27:35 - 28:35 関東)- プロデューサー:藤原努 ディレクター:松浦徹 監修:瀬々敬久 製作:ホリプロフジテレビ
  • 廃墟』(2000年10月4日 25:55 - 26:26:25 関東)- プロデューサー:藤原努 ディレクター:松浦徹 監修:瀬々敬久 製作:ホリプロ、フジテレビ
  • 新日本風土記』「廃墟」(2015年1月30日 21:00 - 22:00)BSプレミアム
  • 廃墟の休日』#1「日本2大廃墟・軍艦ホテル」(2015年7月18日 1:00 - 1:30)テレビ東京
  • 夢のあとさき 〜日本遺構見聞録〜 (2023年6月17日 22:00~23:29) -ナレーター:林原めぐみ、 NHK BS-4K

映画

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ミュージック・ビデオ

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  • ACTION!「TEARS OF LOVE」
  • ACTION!「夢みる頃すぎて」
  • サクヤビメ「Unrequited love」
  • DEEP UNDERWATER「Salvage」

その他

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  • 当真ゆき - グラビアアイドルのプロモーションビデオ

関連書籍

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小説

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随筆

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  • 樋口ヒロユキ『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』

脚注

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  1. ^ a b c 廃墟 朽ちゆく美しさ「聖地」マヤカン 観光資源に朝日新聞』朝刊2021年5月2日(文化面)2021年5月7日閲覧
  2. ^ 廃墟としての摩耶観光ホテルを有名にした文献に『懐古文化綜合誌 萬』臨時増刊号:緊急特集「廃墟の魔力」(ゆとり文化研究所 愚童學舎)が知られているが、同書に「この摩耶観光ホテルは、昭和五年(文献により四年のものも)に阪神電鉄系列会社の摩耶鋼索鉄道株式会社の福利厚生施設「摩耶倶楽部」として建設された(設計施工は大林組)。昭和七年よりホテルとして営業を開始」(32ページ)と記載されている。この摩耶倶楽部については、当時の建築学雑誌の新建築紹介ページに写真入りで「摩耶倶楽部 竣工昭和五年二月末日・鉄筋コンクリート四階建・施工大林組」と記載されている(『建築と社会』14-1、1931年1月、9ページ)。またこれを参照にした『阪神間モダニズム』でも摩耶倶楽部として紹介されている(淡交社、1997年、96ページ)。しかし第二次世界大戦前の資料では、ほとんどが本文で紹介した「摩耶ホテル」「摩耶山温泉ホテル」「摩耶山温泉」であり(例:「まやホテル けふから開業した」『神戸新聞』1929年11月17日)、「摩耶倶楽部」はこの建築学雑誌でしか確認できない。
  3. ^ 神戸の廃ホテルが文化財に」『日本経済新聞日本経済新聞社、2021年3月19日。2021年3月19日閲覧。
  4. ^ 川島智生 2001.
  5. ^ デイリースポーツ(2021年7月11日)
  6. ^ a b 川島智生 2001, p. 321.
  7. ^ 金子直樹 2005, p. 74.
  8. ^ a b 金子直樹 2005, pp. 78–79.
  9. ^ フレンチ・ラインイル・ド・フランス
  10. ^ 金子直樹 2005, p. 83.
  11. ^ a b 摩耶ケーブル「虹の駅」に副駅名「旧摩耶観光ホテル前」に 廃虚マニア注目、話題のスポット”. 神戸新聞. 2022年1月1日閲覧。

参考文献

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  • 川島智生「9161 摩耶ホテルと設計者今北乙吉について(日本近代・建築家・技術者(1),建築歴史・意匠)」『学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠』第2001巻、社団法人日本建築学会、2001年7月31日、321-322頁、NAID 110006596963 
  • 金子直樹「「廃墟」の歴史地理 : 摩耶観光ホテルを事例に」『人文論究』第55巻第1号、関西学院大学、2005年5月25日、63-88頁、NAID 110004500468 

関連項目

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外部リンク

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