撫養町
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むやちょう 撫養町 | |
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廃止日 | 1947年3月15日 |
廃止理由 |
新設合併 撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村 → 鳴南市 |
現在の自治体 | 鳴門市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
郡 | 板野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
17,228人 (1940年) |
隣接自治体 | 鳴門町、瀬戸町、北灘村、堀江村、大津村、里浦村 |
撫養町役場 | |
所在地 | 徳島県板野郡撫養町 |
座標 | 北緯34度10分21秒 東経134度36分32秒 / 北緯34.17258度 東経134.60881度座標: 北緯34度10分21秒 東経134度36分32秒 / 北緯34.17258度 東経134.60881度 |
ウィキプロジェクト |
撫養町(むやちょう)は、かつて徳島県板野郡にあった町。現在の鳴門市撫養町(黒崎・斎田・南浜・木津・大桑島・小桑島・岡崎・弁財天・北浜・林崎・立岩)。古くより鳴門の中心的市街地。
1889年の町村制実施時に徳島県内で「町」だった2つの自治体のひとつ(もうひとつは脇町)。
歴史
[編集]近畿と交通の便がよかったことから奈良時代・平安時代から開けていた[1]。天平5年(733年)完成の風土記のものとされる逸文に「むや」の記述があり、これが史料として最も古い[1]。『土佐日記』には「牟野 (むや)」とされている。室町時代には三好氏の城下町だったが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した[2]。 江戸時代は「斎田塩」の製塩業、塩・藍などの積み出し港として栄えた[2]。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数の港町だったが、港口付近に暗礁が多く、大型船の航行に支障があったため、昭和に入ると次第に港町としての機能は衰えていった[1]。また1934年(昭和9年)の室戸台風の暴風雨により、塩田が全滅する大打撃を受けた[3]。
沿革
[編集]参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)