文室笠科
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・丹後守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 文室氏 |
父母 | 父:直世王 |
兄弟 | 助雄、笠科 |
文室 笠科(ふんや の かさしな)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。中納言・直世王の子とする系図がある[1]。官位は従五位上・丹後守。
経歴
[編集]承和3年(836年)従五位下に叙爵し、承和6年(839年)土佐守に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後に勘解由次官に任ぜられると、仁寿2年(852年)中務少輔、仁寿3年(853年)従五位上・宮内大輔に叙任されるなど、文徳朝前半は京官を歴任する。仁寿4年(854年)武蔵守に任ぜられ地方官に転じる。
清和朝の貞観2年(860年)刑部大輔として京官に復すが、翌貞観3年(861年)正月には早くも丹後守に遷り、三度地方官を務めた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和3年(836年) 正月7日:従五位下
- 承和6年(839年) 2月18日:土佐守
- 嘉祥3年(850年) 3月22日:山作司(仁明上皇崩御)。10月1日:勘解由次官
- 仁寿2年(852年) 2月28日:中務少輔
- 仁寿3年(853年) 正月7日:従五位上。7月21日:宮内大輔
- 仁寿4年(854年) 正月16日:武蔵守
- 貞観2年(860年) 6月5日:刑部大輔
- 貞観3年(861年) 正月13日:丹後守
脚注
[編集]- ^ 宝賀[1986: 179]