斎藤太郎
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斎藤 太郎(さいとう たろう、1849年2月13日(嘉永2年1月20日[1][注 1]) - 1922年(大正11年)7月11日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級、功二級[3]。
経歴
[編集]周防山口藩領阿武郡椿郷東分村(山口県阿武郡椿郷東分村、椿東村、萩町を経て現萩市)出身[1]。士族・斎藤喜作の長男として生まれ、1880年(明治13年)家督を相続する[1]。1872年(明治5年)4月、陸軍歩兵少尉に任官する[3]。1878年(明治11年)陸軍戸山学校に入学[1]。以来累進し、日清戦争では第2軍兵站司令官として出征[2]。のち歩兵第1連隊長に転じ、1897年(明治30年)10月、大佐に進む[3]。1901年(明治34年)11月、陸軍少将に進級と同時に歩兵第14旅団長に補され日露戦争に出征し、第1師団と協同し203高地攻略で軍功を挙げ、その後も第3軍の主力部隊として戦った[2]。1907年(明治40年)1月、陸軍中将に進級と同時に後備役に編入した[2][3]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』322頁では1月21日生。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。