斎藤武雄 (内務官僚)
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斎藤 武雄(さいとう たけお、1902年(明治35年)12月4日[1] - 没年不詳)は、日本の内務官僚、実業家。官選福井県知事、兵庫県教育委員長。
経歴
[編集]広島県出身。斎藤元四郎の長男として生まれた[2]。松山高等学校を卒業。1926年12月、文官高等試験行政科試験に合格[3]。1927年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し北海道庁属となる[1][2][3]。
以後、和歌山県社寺兵事課長、同秘書課長、同学務課長、同商工課長、同水産課長、岐阜県社会課長、同庶務課長、兵庫県都市計画課長、青森県書記官・警察部長、満州国奉天省警務庁長、満州国民政部労務司長、兵庫県第一部長、京都府内政部長などを歴任[1][2][4]。
1946年1月25日、福井県知事に就任[1]。戦災の復興、食糧対策などに尽力[4]。同年10月4日、依願免本官となり退官した[5]。
その後、帝都高速度交通営団理事、神戸市助役、神戸放送専務、ラジオ関西専務、兵庫県教育委員長などを務めた[1][4]。