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斎藤O子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 O子(さいとう おーこ[1]1956年 - )は、白夜書房の元漫画編集者。美少女まんが誌『漫画ブリッコ』『漫画ホットミルク』元編集長

本名および編集人名義は斎藤 礼子(さいとう れいこ)。愛称の由来は血液型O型であることなどから[2]。「0子」(れいこ)は誤記・誤植。

来歴

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1956年生まれ。北国豪農出身[3][4]。1980年にセルフ出版(後の白夜書房)に入社[1]。入社してまもなく三流劇画誌グラビア誌の編集に携わる。

美少女まんが誌『漫画ブリッコ』には1982年の創刊当初から編集助手として参加[5]。また『漫画ブリッコ』『漫画ホットミルク』の読者投稿コーナーなどでは「斎藤O子」としてそのユニークなキャラクター(おかっぱ頭に丸眼鏡で男勝り)を露出することも多く、面倒見の良さから作家や読者に慕われ、掲載作品にも本人役で度々登場するなど同誌の番頭的存在であった。後藤寿庵は「普通漫画描きは担当の悪口言うものですが、O子さんについてはほとんどそういう話を聞かないですね。別に作家を甘やかす編集ではなく、厳しいところもありましたが、みんなあの人は好きでした」と後に語っている[6]

1985年7月23日に大塚英志が『漫画ブリッコ』の編集長を独断で降板したため[7]、なし崩し的に3代目編集長に就任する。その後、同誌終刊までほぼ一人で残務処理に奔走したが、大塚は当時フリー編集者徳間書店白夜書房契約社員)だったため、白夜書房に常駐しておらず、『ブリッコ』担当歴は大塚より斎藤の方が長い[8]。また、大塚は自身が担当していたかがみあきらの急逝後、白夜書房との関係悪化や編集業の多忙などを理由に、同誌の編集を半ば放棄するようになっていた[9][10]。そのため、同誌に執筆していた中森愛は「O子さんはブリッコ後半、事実上の現場責任編集長」と語っている[11]

1986年2月より『漫画ブリッコ』の後継誌『漫画ホットミルク』創刊編集長に就任[1]。ブリッコ時代のニューウェーブ色は次第に薄まり[12]、実用的なエロ漫画中心の内容へシフトしていく。また、読者投稿コーナー担当も継続し、後藤寿庵天竺浪人りえちゃん14歳町野変丸など、読者投稿葉書から拾い上げる形でプロデビューへ導いた漫画家も多い[1]

雑誌の新陳代謝を図るため、1994年9月号で編集長引退を告知し、多くの読者から引退を惜しむ声が寄せられた[1]。引退号となった同年11月号「斎藤編集長引退特集号」では、斎藤の退任を労う感謝の葉書で読者投稿欄が埋め尽くされ、美少女コミック研究家の稀見理都は「一編集長の退任をここまで大きく特集した美少女コミック誌は後にも先にも『漫画ホットミルク』だけだと思います。それほど斎藤氏が多くの読者、作家に愛されていた編集長だった証だったのではないでしょうか」と述べている[1]。後継の2代目編集長は『漫画ホットミルク』から派生した『漫画ばんがいち』編集長の野沢智哉が兼務した。

結婚後は編集者を引退[13]したが、『ブリッコ』『ホットミルク』系列の漫画雑誌が廃刊[14]した後も「愛宴」「裏愛宴」「旅愛宴」なる集会を不定期に全国各地で催して読者との交流を続けている[1]。また2016年には還暦を迎えたことが「旅愛宴」での告知で明らかになった[15]

インタビュー

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 稀見理都「美少女コミック雑誌のゲンバ」第15回「漫画ホットミルクキルタイムコミュニケーション二次元ドリームマガジン』2016年6月号(Vol.88)
  2. ^ おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』徳間書店 2014年 220頁
  3. ^ 白夜書房『漫画ブリッコ』1984年10月号の編集後記
  4. ^ 白夜書房『漫画ブリッコ』1985年3月号の編集後記
  5. ^ 白夜書房『漫画ブリッコ』1986年2月号、222頁
  6. ^ 後藤寿庵のツイート 2010年4月6日
  7. ^ 「O(引用者注:大塚英志を指す)はフリーの立場ながら、この雑誌に対する発言権が強くなり、フリーの枠を超えた言動が多くなってきた。収益的にも無視できない部分があり、それを許容してしまった社内側(僕も含めて)にも問題があった事は否めない。(中略)だが、何事にも限度があって、理論が先行すると、肝心の仕事がおろそかになる。そのころから、いつまでも『漫画ブリッコ』を続ける気がなくなったのか、雑誌もひところの売れ行きから下がってきて、その対策について話し合うことが多くなっていった。そのうちどういうわけか、『漫画ブリッコ』内で、白倉由美を相手の対談で、何号にもわたって会社の内部批判を始めるようになった。さすがに中止を迫ると、結果的にこの雑誌の編集担当から降りるという一方的な電話の一言でOとの縁は切れた。2〜3年の付き合いだっただろうか。その後、30年近く一度も会っていないが、その前後ぐらいに刊行した『物語消費論』(新曜社 1989年)が、Oの考えをそのまま書いたもので、当時、鏡明SFマガジンに書いた書評が一番的を射ていると思う。今から考えると、その内部告発のような対談は、この雑誌を辞める理由付けにわざと始めたようなフシもないではない。しかし、そうまでして、この雑誌を辞めたかった理由は最後まで分からなかった。若干、見当はつくものの、決定的な要因は今も謎である」藤脇邦夫『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015』本の雑誌社 2015年 pp.62-64
  8. ^ 後藤寿庵のツイート 2014年2月18日
  9. ^ 後藤寿庵のツイート 2014年2月18日
  10. ^ 後藤寿庵のツイート 2014年7月3日
  11. ^ 対談「中森愛VS五藤加純 兄弟対決 二人でロリコメばかり描いていた―デビューから漫画ブリッコまで」中森愛五藤加純『二人でロリコメばかり描いていた』ネコ通信社 2019年12月31日発行 p.42
  12. ^ 後藤寿庵のツイート 2014年2月18日
  13. ^ 後藤寿庵のツイート 2010年4月6日
  14. ^ 漫画ブリッコ』→『漫画ホットミルク』→『コミックメガキューブ』→『コミックメガプラス』→『コミック0EX』→『コミックメガミルク』→姉妹誌『漫画ばんがいち』に統廃合→『web漫画ばんがいち』→2018年12月31日配信のVol.28をもって廃刊、旧ホットミルク編集部に起源を持つ美少女漫画誌の系譜は断絶した。
  15. ^ 元編集長の還暦を祝う鳥居、建立の報

関連項目

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外部リンク

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