新家町 (福島区)
新家町(しんけちょう)は、大阪府大阪市福島区にあった町名。現在の吉野・大開にあたる。
歴史
[編集]新家は、元は摂津国西成郡野田村の北部にあった地名である[1]。『西成郡史』には、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣の際、大野道犬が棚楼(井楼か[2])を福島の五分一に設け、800人をもって野田村の新家を「戌らしむ」との記述がある[3]。これについて、大野道犬が福島村の村民800人をこの地に移住させたことで新家が成立したとも[1]、大野道犬が800の兵に新家を守備させたともいわれる[2]。この後、新家は幕府軍の攻撃を受け陥落したという(野田・福島の戦い)[2][3]。また、江戸時代には、新家から中津川(淀川の分流[4])対岸の伝法村への渡し船があった[1]。
1900年(明治33年)、大阪市北区西成野田の一部が西野田新家西之町・西野田新家東之町となった[5]。町名はそれまでの字に由来する[6]。1922年(大正11年)、両町あわせて西野田新家町1–2丁目となり[7]、1925年(大正14年)に此花区に転属し、此花区新家町となった[6]。1943年(昭和18年)、一部が福島区新家町1–2丁目となり[6]、残りは1944年(昭和19年)に西野上之町の一部とあわせて木場町になった後、1975年(昭和50年)に新設された西九条1–7丁目の一部となった[8]。
1943年(昭和18年)に設立された福島区新家町は、1963年(昭和38年)に一部が大開町1–4丁目・吉野町1–3丁目・今開町1–2丁目に組み込まれる一方で、吉野町1–3丁目・今開町1–2丁目の一部を編入[9]。1975年(昭和50年)に吉野1–5丁目・大開1–4丁目の一部となり、行政地名としての新家町は消滅した[10]。
その後の新家
[編集]地域集会所として新家コミュニティセンターがあり[11]、新家地域活動協議会が設立されている[12][13]。
また、公園の名称として、新家公園(吉野5丁目、1956年〈昭和31年〉開園)、新家西公園(大開4丁目、2012年〈平成24年〉開園)、高見新家公園(大開4丁目・此花区高見1丁目、2009年〈平成21年〉開園)がある[14]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『角川日本地名大辞典27』954–955頁。
- ^ a b c 平井聖; 村井益男; 村田修三 編「野田城」『日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫』新人物往来社、1981年、191頁。全国書誌番号:81020173。
- ^ a b 大阪府西成郡役所 編『西成郡史 第1編 第2編 第3編 第4編 第5編』大阪府西成郡役所、1915年、259頁。全国書誌番号:43018646 。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』625頁、「正蓮寺川」。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』634、931、955頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典27』634頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』634、931頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』403、634、918頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』163-164、252、634、1254頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典27』252、634、1254頁。
- ^ “地域活動の拠点「地域集会所」とは”. 大阪市福島区 (2022年4月12日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ “福島区の地域活動協議会について”. 大阪市福島区 (2020年11月1日). 2022年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “「広報ふくしま」令和2年11月号”. 令和2年度バックナンバー(令和2年4月号~令和3年3月号). 大阪市福島区 (2021年4月1日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ “令和3年度都市公園一覧表”. 都市公園一覧表. 大阪市 (2021年4月1日). 2022年5月4日閲覧。