新山平四郎
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新山 平四郎(にいやま へいしろう、1869年7月17日 - 不明)は、明治から昭和初期にかけて文部省技師として活躍した建築家。明治期の新設された学校建築を多く手がけた。
経歴
[編集]- 1869年(明治2年)茨城県に生まれる。
- 1890年(明治23年)工手学校(現工学院大学)造家学科を卒業。
- 1893年(明治26年)東京郵便局電信局傭員、逓信省郵便電信書記補。
- 1896年(明治29年)逓信省退官、文部省技手。
- 1907年(明治40年)文部省技師、文部省札幌出張所長。
- 1909年(明治42年)文部省秋田出張所長。
- 1912年(大正元年) 文部省桐生出張所長。
- 1918年(大正7年)文部省横浜出張所長。
- 1931年(昭和6年)文部省退職。
主な作品
[編集]- 宗教大学本館(現大正大学)(東京都、車寄のみ明治村に移築)
- 東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科講堂(札幌市、現存しない)
- 東北帝国大学農科大学(現北海道大学)林学科講堂(札幌市、現存)
- 東北帝国大学農科大学(現北海道大学)畜産科講堂(札幌市、現存しない)
- 東北帝国大学農科大学(現北海道大学)第二農場移築(札幌市、現存、重要文化財)
- 小樽高等商業学校本館(現小樽商科大学)(小樽市、現存しない)
- 秋田鉱山専門学校(現秋田大学工学資源学部)(秋田市、現存しない)
- 桐生高等染織学校(現群馬大学)(桐生市、一部現存)
- 横浜高等商業学校(現横浜国立大学経済学部)(横浜市、現存しない)