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新庚申塚停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新庚申塚駅から転送)
新庚申塚停留場
早稲田方面ホーム(2018年12月)
しんこうしんづか
Shin-koshinzuka
SA 19 西ヶ原四丁目 (0.4 km)
(0.2 km) 庚申塚 SA 21
地図左上は西巣鴨駅
所在地 東京都豊島区西巣鴨三丁目
北緯35度44分28.8秒 東経139度43分49.6秒 / 北緯35.741333度 東経139.730444度 / 35.741333; 139.730444座標: 北緯35度44分28.8秒 東経139度43分49.6秒 / 北緯35.741333度 東経139.730444度 / 35.741333; 139.730444
駅番号 SA20
所属事業者 東京都交通局
所属路線 都電荒川線(東京さくらトラム)
キロ程 7.7 km(三ノ輪橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
2,649[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1929年昭和4年)4月19日
乗換 I16 西巣鴨駅都営地下鉄三田線
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新庚申塚停留場(しんこうしんづかていりゅうじょう)は、東京都豊島区西巣鴨三丁目にある東京都交通局都電荒川線(東京さくらトラム)の停留場である。駅番号SA 20

歴史

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当停留場は1911年明治44年)8月20日王子電気軌道開業当時には設置されていなかった。1927年昭和2年)から1931年(昭和6年)にかけて行われた中山道国道17号)新道整備に伴い[2]1929年(昭和4年)に新道との交差点に接する形で開設された。

  • 1929年(昭和4年)
  • 1930年(昭和5年)3月:東京市電および王子電気軌道の停留場が新庚申塚停留場に改称される[3]
  • 1942年(昭和17年)2月1日:王子電気軌道の事業が東京市に譲渡されたことにより、東京市電板橋線および滝野川線の停留場となる。
  • 1944年(昭和19年):戦時体制により滝野川線の営業を休止[4]
  • 1946年(昭和21年)7月10日:滝野川線の営業を再開[5]
  • 1966年(昭和41年)5月29日:板橋線の区間廃止に伴い、滝野川線(現・荒川線)単独の停留場となる。

停留場構造

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相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。白山通りを挟んで、三ノ輪橋方面のホームは西側、早稲田方面のホームは東側に位置している。

乗車ホーム 路線 方向 行先
西側 SA 都電荒川線
(東京さくらトラム)
上り 三ノ輪橋方面
東側 下り 早稲田方面

周辺

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設置の経緯から、国道17号白山通り)にまたがるように位置し、停留所すぐ南の交差点で白山通りに北東からお岩通りが、南から栄和通りが交わる[6]。お岩通りや栄和通りはかつて商店街となっており、商店会も存在するが[7]、マンションやアパートへの建て替えが進み、住宅地としての趣を強めている。

白山通りを北西に約250 m行ったところに都営地下鉄三田線西巣鴨駅があり、乗換駅として案内されている[8]

お岩通りを北西に行ったところに、「東海道四谷怪談」で知られる「お岩」の墓のある妙行寺がある[8]

停留場名に含まれる庚申塚は栄和通りを南に行った、隣の庚申塚停留場の近くにある。

バス路線

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最寄りのバス停留所新庚申塚停留所である。都営バスの以下の系統が運行されている。

隣の停留場

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東京都交通局
SA 都電荒川線(東京さくらトラム)
西ヶ原四丁目停留場 (SA 19) - 新庚申塚停留場 (SA 20) - 庚申塚停留場 (SA 21)

脚注

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  1. ^ 東京都 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ 板橋区ホームページ「平成27年板橋区土木白書 第1章 区道の歴史」
  3. ^ a b 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)
  4. ^ 『わが街わが都電』東京都交通局、1991年8月。 
  5. ^ 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 : 全線・全駅・全廃線 5号』新潮社、2008年9月。 
  6. ^ 豊島区道通称名”. 豊島区. 2020年1月10日閲覧。
  7. ^ 豊島区の商店会”. 豊島区. 2020年1月10日閲覧。
  8. ^ a b 新庚申塚”. 東京都交通局. 2020年1月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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