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新潟城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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新潟城
新潟県
城郭構造 平城
築城主 新発田重家
築城年 戦国時代
主な城主 新発田綱朝
廃城年 1585年
遺構 堀・庭園
指定文化財 未指定
位置 北緯37度54分52.9秒 東経139度02分18.4秒 / 北緯37.914694度 東経139.038444度 / 37.914694; 139.038444
※座標は推定地である白山公園の位置
地図
新潟城の位置(新潟県内)
新潟城
新潟城
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新潟城(にいがたじょう)は、戦国時代の一時期に存在したとされる日本の城舟岡城白山城[1]ともいう。

現在の新潟県新潟市中央区一番堀通町白山神社および白山公園の位置にあったと比定されているが確かではない。

歴史・沿革

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「ニイガタ」の地名は永禄年間の史料[2]に見られ、この当時すでに町があったことが窺える。上杉謙信信濃川阿賀野川合流地点である沼垂湊蒲原津新潟津三か津に代官を置いて物流と軍事を掌握したといわれている。

謙信が春日山城で死去(1578年)した後に始まった御館の乱での論功行賞の不満から、新発田重家の乱が勃発(1581年)。新発田軍勢は新潟津を奪取[3]、このとき砂州を改修して同年に築城したといわれている[4]

重家の乱を鎮圧するためとして天正11年(1583年)に出陣した上杉景勝の軍勢は火矢により城を炎上させるも落城せず持ちこたえた[5]。しかし天正13年(1585年)11月20日、上杉景勝家臣の宮島三河守の計略によって落城した[5]

現在遺構は見つかっていないものの、岡山大学の『池田家文庫』[6]に絵図が残されている。これに従えば、河川に接した縄張りを城壁で囲み、3層の楼閣2棟・平屋の屋敷2棟・水辺の3層の1棟を備えていたことになる。

脚注・出典

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  1. ^ 天地人・上杉景勝、直江兼続と白山島・白山城・新潟城”. 新潟総鎮守 白山神社. 2024年10月25日閲覧。
  2. ^ 京都醍醐寺某『永禄六年北国下り遣足帳』(新潟市歴史博物館蔵)
  3. ^ 新潟歴史年表_中世”. 新潟市 (2022年1月8日). 2024年10月25日閲覧。
  4. ^ 新潟市合併町村の歴史 第3巻 (中蒲原郡から合併した町村の歴史 上 沼垂・山ノ下・大形)』新潟市、1980年3月、6-7頁https://dl.ndl.go.jp/pid/11038122 
  5. ^ a b 新井寛励『新発田因幡守重家伝』新発田郷土同好会、1936年、26-29頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1220068 
  6. ^ 池田家文庫(資料番号:T3-31)〔越後国新潟城図〕”. 池田家文庫絵図公開データベースシステム. 岡山大学附属図書館. 2024年10月25日閲覧。

関連項目

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