新潟県立中条高等学校
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(新潟県立中条農業高等学校から転送)
新潟県立中条高等学校 | |
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北緯38度3分23秒 東経139度24分39.9秒 / 北緯38.05639度 東経139.411083度座標: 北緯38度3分23秒 東経139度24分39.9秒 / 北緯38.05639度 東経139.411083度 | |
過去の名称 |
新潟県北蒲原郡立中条農学校 新潟県立中条農学校 新潟県立中条農業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
設立年月日 | 1910年5月 |
創立記念日 | 1911年4月24日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D115222700016 |
高校コード | 15126C |
所在地 | 〒959-2643 |
新潟県胎内市東本町19-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立中条高等学校(にいがたけんりつ なかじょうこうとうがっこう)は、新潟県胎内市東本町に所在する県立高等学校。
沿革
[編集]- 1910年5月 - 新潟県北蒲原郡立中条農学校として北蒲原郡中条町に開校。
- 1911年4月24日 - 校舎落成式挙行、創立記念日となる。
- 1922年3月24日 - 新潟県へ移管、新潟県立中条農学校と改称。
- 1928年4月 - 女子部開設。
- 1943年4月1日 - 甲種実業学校に昇格。
- 1947年4月1日 - 併設中学校設置(1949年3月31日廃止)。
- 1948年4月1日 - 新学制に伴い新潟県立中条農業高等学校と改称。
- 1948年6月1日 - 定時制課程中心校・金塚分校(後の加治川分校)・黒川分校開校。
- 1949年4月1日 - 普通科新設に伴い現校名に改称。
- 1957年1月23日 - 校歌制定。
- 1961年4月1日 - 工業化学科新設(1970年3月31日廃止)。
- 1963年3月31日 - 農業科廃止。
- 1979年3月31日 - 定時制黒川分校閉校。
- 1980年3月31日 - 定時制中心校閉校。
- 1987年3月31日 - 定時制加治川分校閉校。
- 1993年4月1日 - 英語科新設。
- 1995年3月31日 - 被服科廃止。
- 2005年9月1日 - 町村合併に伴い所在地が胎内市となる。
- 2008年3月31日 - 英語科廃止。
- 2010年5月 - 創立100周年。
- 2011年4月1日 - 募集定員、全日制普通科200名。
- 2015年4月1日 - 募集定員、全日制普通科160名。
- 2018年4月1日 - 募集定員、全日制普通科120名。
- 2019年4月1日 - 普通科総合選択制(探究教養コース・地域産業コース)を導入。
- 2021年4月1日 - 募集定員、全日制普通科80名。
交通
[編集]学校行事
[編集]- 4月 入学式、対面式、遠足
- 5月 中間考査
- 6月 体育祭
- 7月 期末考査、校内球技大会
- 8月 夏季補習
- 9月 小琴祭
- 10月 中間考査
- 12月 期末考査、2年修学旅行(沖縄方面)
- 1月 大学入学共通テスト、3年学年末考査
- 3月 卒業式、1・2年学年末考査
部活動
[編集]運動部
[編集]文化部
[編集]著名な出身者
[編集]- 山本善政(ハードオフコーポレーション創業者・会長兼社長、日本フランチャイズチェーン協会会長)
- 阿部文明(マラソン選手)
- 原幹恵(タレント)
- 斎藤洋明(衆議院議員)
- 池田真一 俳優・脚本家
旧校舎
[編集]胎内市東本町には1954年に建設され、1963年に増築された木造の旧校舎がある[1][2]。1970年代から1980年代まで教室や特別教室として利用された[2]。その後は1990年代から2020年まで公会堂や商工会、シルバー人材センター、市の史跡資料室などが入り利用されていたこともある[1][2]。しかし老朽化のため2023年6月から解体工事に入ることになった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c “さようなら 旧中条高校の木造校舎、6月下旬から解体工事 6月17日に回顧会と内部見学”. 新潟日報 (2023年6月17日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b c “中条高旧校舎に別れ 解体前1日だけ一般公開”. 読売新聞 (2023年6月18日). 2023年6月18日閲覧。