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新田義美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新田 義美(にった よしてる、1899年3月2日 - 1969年11月20日)は、昭和時代華族男爵

人物

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岩松新田氏新田忠純の子。兄弟は俊子(今村繁三室)、てい(桂与一室)、幸子(四女、松平慶民室)、義郎北畠克通養子)、義之岩松純行養子)ら。妻は高浜虚子の娘宵子。男子はなく、娘に武子、恭子、汪子(山田栄作妻)、公子(宇佐美承妻)、容子(国井文扶妻)、矩子(小谷野晃一妻)。

1926年大正15年)に明治大学政治経済学部を卒業し、第一生命保険相互会社に勤務する。1966年昭和41年)、自身が所蔵していた古文書や絵画など約9,000点を群馬大学に寄贈し、現在新田文庫として公開されている。婿の山田栄作と娘汪子の間の陽子(孫娘)が跡を継いだ。

分倍河原の戦いの戦場跡の記念碑の文言は義美のものである。

日本の爵位
先代
新田忠純
男爵
岩松新田家第3代
1931年 - 1947年
次代
華族制度廃止
先代
新田忠純
岩松新田氏歴代当主
新田義美
次代
新田陽子