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新美二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新美 二郎
生誕 1890年1月2日
日本の旗 日本 愛知県
死没 (1966-01-21) 1966年1月21日(76歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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新美 二郎(にいみ じろう、1890年明治23年)1月2日 - 1966年昭和41年)1月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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愛知県出身[1]1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[3][4]

1938年(昭和13年)7月に陸軍歩兵大佐歩兵第163連隊長(北支那方面軍第110師団、歩兵第133旅団)に任官し、支那事変に出征[1][2][3]京漢線沿線の警備や、冀西(河北省西部)、晋察冀辺などの作戦に参戦した[3]

その後、1941年(昭和16年)10月に奈良連隊区司令官を経て、大東亜戦争に入ると1943年(昭和18年)1月に第8独立守備隊長(関東軍第3軍)に任官[2][3]。同年3月に陸軍少将に昇進し、翌年の1944年(昭和19年)12月に関東軍兵事部長に転補され、新京で終戦を迎えた[2][3]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

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  1. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』545頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』305頁。
  3. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』546頁。
  4. ^ 『官報』第8557号、明治44年12月27日。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。