新美二郎
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新美 二郎 | |
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生誕 |
1890年1月2日 日本 愛知県 |
死没 | 1966年1月21日(76歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
新美 二郎(にいみ じろう、1890年(明治23年)1月2日 - 1966年(昭和41年)1月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]愛知県出身[1]。1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[3][4]。
1938年(昭和13年)7月に陸軍歩兵大佐・歩兵第163連隊長(北支那方面軍、第110師団、歩兵第133旅団)に任官し、支那事変に出征[1][2][3]。京漢線沿線の警備や、冀西(河北省西部)、晋察冀辺などの作戦に参戦した[3]。
その後、1941年(昭和16年)10月に奈良連隊区司令官を経て、大東亜戦争に入ると1943年(昭和18年)1月に第8独立守備隊長(関東軍、第3軍)に任官[2][3]。同年3月に陸軍少将に昇進し、翌年の1944年(昭和19年)12月に関東軍兵事部長に転補され、新京で終戦を迎えた[2][3]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。