新豊県 (陝西省)
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新豊県(しんほう-けん)は、古代中国の漢代に置かれた県の一つである。現在の陝西省西安市臨潼区にあった。高祖7年(紀元前200年)に設置され、はじめ渭南郡に属したが、制度の改変にともない高祖9年(前198年)に内史、建元6年(前135年)に右内史、太初元年(前104年)に京兆尹と所属が変遷した[1]。
もとの驪戎国で、秦代には驪邑といった。県が置かれたのは漢の高祖(劉邦)7年(紀元前200年)である[1]。劉邦は豊県から出て長安に都を置いたが、その老父(劉太公)は故郷に帰りたいと思っていた。そのため、長安の郊外に、豊に似せて城寺街路を築き直し、豊の民を遷した[2]。県名も豊県に「新」を冠したものである[3]。