新貝肇
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新貝 肇(しんがい はじめ、1896年(明治29年)7月25日[1][注 1] - 1980年(昭和55年)1月9日[2])は、朝鮮総督府官僚。大分県副知事。
経歴
[編集]大分県宇佐郡天津村(現在の宇佐市)出身[3]。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)[4]、第四高等学校を卒業[5]。1920年(大正9年)10月[5]、高等試験行政科に合格し[3]、翌年に東京帝国大学法学部政治科を卒業した[1]。逓信省に入省したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた[5]。朝鮮総督府逓信局書記、同逓信副事務官、同事務官、逓信吏員養成所長、逓信局庶務課長、同経理課長、黄海道警察部長、江原道内務部長、警務局警務課長、総督官房人事課長を歴任[6]。1937年(昭和12年)、全羅南道知事に就任し、咸鏡南道知事を経て、逓信局長・高等海員審判所長に転じた[1][6]。1942年(昭和17年)より司政局長・中枢院書記官長を務めた[1]。1943年(昭和18年)に退官し[5]、その後、朝鮮有熛炭株式会社社長に就任した[4]。
終戦後に東京で家庭裁判所調停委員などを務め[4]、1956年(昭和31年)6月から1963年(昭和38年)1月まで木下郁大分県知事の元で副知事に在任した[4]。1969年(昭和44年)にテレビ大分の初代社長に就任した[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大分県歴史人物事典』276頁では明治30年。