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日下部定好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
日下部 定好
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より日下部定好
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文11年(1542年
死没 元和2年8月30日1616年10月10日
別名 通称:兵右衛門
幕府 江戸幕府 旗本
主君 織田信長徳川家康秀忠
氏族 日下部氏
父母 父:日下部定金
正室:西村久吉
宗好定勝正冬早川好勝景久
間宮某室、豊嶋忠次
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日下部 定好(くさかべ さだよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将旗本

略歴

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天文11年(1542年)、日下部定金の子として誕生。

織田信長に仕えていたが、当時同僚だった豊臣秀吉(羽柴秀吉)と諍いをおこし出奔する。後に徳川家康に仕官し、成瀬正一と共に長篠の戦い高天神城の戦いで活躍する。徳川家康が甲斐国を支配すると奉行に任ぜられる。関東討入後は武蔵国鉢形城代官に任ぜられた。

関ヶ原の戦いでは徳川秀忠旗奉行として従軍。そのまま伏見城留守居役に任ぜられ、元和2年(1616年)、その地で生涯を閉じている。

生涯を通して成瀬正一との連携は続いた。

脚注

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参考文献

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関連項目

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