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日吉稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日吉 稔
Minoru HIYOSHI
基本情報
名前 日吉 稔
生年月日 (1944-06-07) 1944年6月7日(80歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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日吉 稔(ひよし みのる、1944年6月7日 - )は、日本プロゴルファー

来歴

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1978年関東オープンでは初日に上原宏一浅井教司謝敏男中華民国の旗 中華民国)・川田時志春関水利晃草壁政治海老原清治森憲二高井吉春石井冨士夫と並んでの10位タイ[1]でスタートし、2日目には69をマークして2位タイ[2]に浮上。3日目には日吉定雄・浅井・謝永郁(中華民国)と並んでの3位タイ[3]とし、最終日には9番でイーグルを取り、14番で3アンダーとなって単独首位に立ったが、18番で1m足らずのバーディーパットを逃して謝敏・金井清一に並ばれる[4]。サドンデス・プレーオフでは第一打を大きく左に引っ掛け[4]、いきなりOBを出してダブルボギーで姿を消し、謝敏と並んで金井の2位タイ[5] [6]に終わる。

1979年日本国土計画サマーズでは3日目に7アンダー290で三上法夫と共に首位タイ[7]に浮上し、最終日には74と崩れ、森・吉川一雄の追い上げを許し4位[8]に終わった。

1986年NST新潟オープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。

脚注

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  1. ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ
  2. ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ
  4. ^ a b 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面 スコアカード「好調の波多野 圧力に崩れる
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面「金井が初優勝 プレーオフ謝敏ら破る 関東オープンゴルフ
  6. ^ 日吉 稔選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p164 昭和54年8月5日朝刊18面「三上と日吉並ぶ サマーズゴルフ第三日」
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p185 昭和54年8月6日夕刊7面「三上が初優勝 サマーズゴルフ」
  9. ^ 日吉 稔選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。

外部リンク

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