日吉稔
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Minoru HIYOSHI | |
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基本情報 | |
名前 | 日吉 稔 |
生年月日 | 1944年6月7日(80歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
日吉 稔(ひよし みのる、1944年6月7日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1978年の関東オープンでは初日に上原宏一・浅井教司・謝敏男( 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁政治・海老原清治・森憲二・高井吉春・石井冨士夫と並んでの10位タイ[1]でスタートし、2日目には69をマークして2位タイ[2]に浮上。3日目には日吉定雄・浅井・謝永郁(中華民国)と並んでの3位タイ[3]とし、最終日には9番でイーグルを取り、14番で3アンダーとなって単独首位に立ったが、18番で1m足らずのバーディーパットを逃して謝敏・金井清一に並ばれる[4]。サドンデス・プレーオフでは第一打を大きく左に引っ掛け[4]、いきなりOBを出してダブルボギーで姿を消し、謝敏と並んで金井の2位タイ[5] [6]に終わる。
1979年の日本国土計画サマーズでは3日目に7アンダー290で三上法夫と共に首位タイ[7]に浮上し、最終日には74と崩れ、森・吉川一雄の追い上げを許し4位[8]に終わった。
1986年のNST新潟オープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
[編集]- ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ」
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面 スコアカード「好調の波多野 圧力に崩れる」
- ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面「金井が初優勝 プレーオフ謝敏ら破る 関東オープンゴルフ」
- ^ “日吉 稔選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p164 昭和54年8月5日朝刊18面「三上と日吉並ぶ サマーズゴルフ第三日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p185 昭和54年8月6日夕刊7面「三上が初優勝 サマーズゴルフ」
- ^ “日吉 稔選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。