日宇村
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ひうむら 日宇村 | |
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廃止日 | 1927年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 佐世村、日宇村 → 佐世保市 |
現在の自治体 | 佐世保市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
9,732人 (角川日本地名大辞典42 長崎県、1920年) |
隣接自治体 | 佐世保市、東彼杵郡佐世村、折尾瀬村、早岐町、北松浦郡柚木村 |
日宇村役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡日宇村里免 |
座標 | 北緯33度09分28秒 東経129度45分31秒 / 北緯33.15781度 東経129.75853度座標: 北緯33度09分28秒 東経129度45分31秒 / 北緯33.15781度 東経129.75853度 |
ウィキプロジェクト |
日宇村(ひうむら)は、長崎県東彼杵郡の北西部にあった村[1]。1927年(昭和2年)に佐世保市へ編入した。
現在の日宇地域、および本庁地区の一部にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡 日宇村が単独村制にて発足。
- 1904年(明治37年)4月1日 - 福石免の一部を佐世保市に編入[3][4]。
- 1910年(明治43年) - 当村域に日本国有鉄道佐世保線の日宇駅が開業。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 東彼杵郡佐世村とともに佐世保市に編入し、日宇村は自治体として消滅。
地名
[編集]免を行政区域とする。日宇村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
なお、村内には上記6免の他に狩立免・菅牟田免・西之川内免・押福免・脇碕免・大野免・毛風免の名称が見られるが、いずれも明治期までに狩立免と菅牟田免が木場免に、西之川内免と押福免が里免に、脇碕免が大塔免に、大野免と毛風免が福石免にそれぞれ統合されている。
交通
[編集]鉄道
[編集]- (佐世保市) - 日宇駅 - (早岐町)
現在、旧村域には日宇駅のほか、1945年(昭和20年)に大塔信号場より駅に昇格した大塔駅が設置されている。
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]- ^ “長崎県東彼杵郡日宇村 (42B0060020)”. 歴史的行政区域データセットβ版. 2023年8月18日閲覧。
- ^ 佐世保水雷団の移設に伴い海域が埋め立てられ、明治末期までに陸続きとなった。
※参考:佐世保地方隊【西海の護り】:佐世保史料館(セイルタワー)【佐世保水雷団〜佐世保倉島庁舎】 海上自衛隊 佐世保地方隊ホームページ - ^ a b 海軍省用地(佐世保水雷団など)の設置に伴う境界変更。長崎県東彼杵郡誌(1917年)によれば、地内を流れる福石川に沿い福石山の頂上部を境界として…とあり、福石免のうち字塩浜・羅勘(羅漢)・三ヶ浦など計15字が該当。現在の潮見町・白南風町・戸尾町(一部)・三浦町・福石町・山祗町・若葉町の区域にあたる。
※参考:長崎県東彼杵郡誌 「日宇村」沿革(1917年 - Googleブックス) - ^ a b 長崎縣告示第五百八十三號『東彼杵郡北松浦郡内所属分村財産処分方法に関する件[1]、[2]』長崎県公報 明治36年11月24日付
- ^ 江戸期は「碕部免」「碕辺免」とも表記した。
- ^ 江戸期は「台塔免」とも表記した。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、645-671頁 。 - Google ブックス
- 『市村併合ニ関スル件』昭和2年3月15日長崎県告示第110号・111号(佐世保市例規集)
- 『市内土地ノ字名改称ノ件』昭和2年4月1日長崎県2地許可第971号(佐世保市例規集)