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日嶽城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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日嶽城
熊本県
別名 開田城、鶴城
築城主 大野氏(肥後国)
位置 北緯32度56分40秒 東経130度31分3秒 / 北緯32.94444度 東経130.51750度 / 32.94444; 130.51750座標: 北緯32度56分40秒 東経130度31分3秒 / 北緯32.94444度 東経130.51750度 / 32.94444; 130.51750
地図
日嶽城の位置(熊本県内)
日嶽城
日嶽城
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日嶽城(ひだけじょう)は、肥後国大野別府に築かれた鎌倉時代安土桃山時代中期の城。開田城(ひらきだじょう)・鶴城ともいう。

大野別府地頭、領主であった大野氏 (肥後国)の主城。

概要

[編集]

※出典[1][2][3]

  • 築城は建久4年(1193) から大野別府地頭を務めた紀氏の紀国隆(きのくにたか)の子、大野十郎秀隆が日嶽城城主となった1200年前後と推定される。
  • 標高約200メートルの急峻を利用した山城。
  • 天正9年(1581)3月、日嶽城 城主 大野弾正親祐の時、大野別府の北側に隣接する野原荘、地頭小代氏は肥前の龍造寺隆信の命で大野別府を攻め(金山原の合戦)日嶽城は落城した。
  • 現在は熊本県玉名市 岱明町 開田(ひらきだ)834、箱崎八幡宮の右手から日嶽城跡の山頂までハイキングコースが整備されている。 小岱山県立自然公園・日嶽城跡の森(現地案内板、駐車場あり)。
  • 日嶽城跡の頂上にはやぐら石と呼ばれる高さ4メートル、周囲12~17メートルに及ぶ巨石が折り重なっている。
  • 日嶽城跡の頂上は扇のかなめのような位置で玉名市(以前の大野別府)一帯、その向こうの有明海を見渡すことができる。

脚注

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  1. ^ 『熊本県玉名郡誌』大正12年4月18日
  2. ^ 『岱明町地方史』昭和44年7月4日 門岡 久著
  3. ^ 『根小屋式山城 日嶽城 -中世の山城日嶽城跡・古城跡調査報告-』平成6年3月1日 岱明町文化保護委員会(玉名歴史研究会『歴史玉名』第16号 抜刷)