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日本一のおかあさん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本一のおかあさん
ジャンル トークバラエティ番組
出演者 萩本欽一
オープニング 「日本一のおかあさん」
製作
制作 TBS
各回収録エリアのJNN加盟局
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1972年4月5日 - 1976年3月24日
放送時間水曜 19:00 - 19:30
放送分30分
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日本一のおかあさん』(にっぽんいちのおかあさん)は、1972年4月5日から1976年3月24日までTBS系列で放送されていたトークバラエティ番組である。放送時間は毎週水曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。

概要

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毎回一般の母子が参加していた視聴者参加型番組で、子供が「日本一のおかあさん」だと思う自身の母親について語る模様を放送した[1][2]。回によっては芸能人の家族が出演することもあった[注釈 1]

日本各地で公開収録を行っていたため、TBSと各回収録エリアのJNN加盟局が製作局としてクレジットされた。関西地区においては当初は朝日放送がネット局および関西地区収録回での製作局を務めていたが、放送期間中に行われたいわゆる腸捻転の解消により、その役割は毎日放送が引き継いだ。

番組は半年限りの予定でスタートしたが(出典:東京ニュース通信社『テレビ50年』[要ページ番号])、結果的に4年にわたって放送された。

エンディングテーマは大慶太の「日本一のおかあさん」。

出演者

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放送局

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特筆のない場合は、水曜 19:00 - 19:30に放送。

脚注

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注釈

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  1. ^ 一例として1973年6月27日は和田浩治三善英史、同年9月5日には八代亜紀山田隆夫、1974年5月8日は早野凡平高橋元太郎の家族が出演している[3]

出典

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  1. ^ 毎日新聞』1972年4月5日付朝刊20面テレビ欄、本作紹介記事。
  2. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「番組開発を探る (9) ネットとローカルとの融和の中から「日本一のおかあさん」東京放送」『月刊民放』第2巻第10号、日本民間放送連盟、1972年10月15日、50 - 52頁、NDLJP:3470879/27 
  3. ^ 福島民報』1973年6月27日、9月5日、1974年5月8日付朝刊テレビ欄。
  4. ^ a b c d 日刊スポーツ』1975年4月2日付テレビ欄。
  5. ^ a b 河北新報』1972年4月5日付朝刊テレビ欄。
  6. ^ 福島民報』1972年10月6日 - 1976年3月24日付朝刊テレビ欄。
  7. ^ 『福島民報』1973年7月4日付朝刊テレビ欄。
  8. ^ a b 北日本新聞』1972年7月12日付朝刊テレビ欄。
  9. ^ a b c 愛媛新聞』1973年3月28日付朝刊テレビ欄。
TBS系列 水曜19:00枠
前番組 番組名 次番組
TWWAプロレス中継
(1968年1月3日 - 3月29日)
【日曜18:00枠へ移動】
日本一のおかあさん
(1972年4月5日 - 1976年3月24日)
スターにアタック!勝抜き歌合戦
(1976年4月7日 - 9月29日)
朝日放送 水曜19:00枠
TWWAプロレス中継
(1968年1月3日 - 3月29日)
【日曜18:00枠へ移動】
日本一のおかあさん
(1972年4月5日 - 1975年3月26日)
霊感ヤマカン第六感
(1975年4月2日 - 1984年10月3日)
毎日放送 水曜19:00枠
こんばんは仁鶴です
(1972年10月11日 - 1975年3月26日)
日本一のおかあさん
(1975年4月2日 - 1976年3月24日)
スターにアタック!勝抜き歌合戦
(1976年4月7日 - 9月29日)