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日本海間瀬サーキット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本海間瀬サーキット
概要
地図
所在地 日本の旗 新潟県新潟市西蒲区間瀬610
座標 北緯37度44分41.29秒 東経138度48分6.53秒 / 北緯37.7448028度 東経138.8018139度 / 37.7448028; 138.8018139座標: 北緯37度44分41.29秒 東経138度48分6.53秒 / 北緯37.7448028度 東経138.8018139度 / 37.7448028; 138.8018139
オーナー 小山 大介
営業期間 1967年 -
コース長 2000m
コーナー数 14
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日本海間瀬サーキット(にほんかいまぜサーキット)は、新潟県新潟市西蒲区間瀬にあるサーキット。全長2Kmのテクニカルなコースで、名前の通り日本海に面している。2輪や4輪の走行会を中心に使用されている。

歴史

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1967年に当時医師であった藤田喜一が開設。1970年に舗装化されロードコースとしてリニューアルされた。1978年に一旦閉鎖されたが、1987年に営業を再開する。再開イベントでは、ロータリーエンジンチューナーとして有名な、RE雨宮や、当時の国内最高カテゴリーだったF3000マシンのデモ走行も行われた。当日はあいにくの雨模様ではあったが、熱心なファンが多数訪れた。機材トラブルによる、フォーミュラーカー押し掛けという珍事でのスタートではあったが、サンテクニカルエンジニアリングチームが、竹中工務店カラーのマーチ87Bを持ち込み、チーム所属(当時)の飯田薫選手によるデモランは、盛況のまま幕を閉じた。再開にするにあたり当初左回りコースだったものを右回りコースに変更、加えて安全性向上のため若干レイアウトが変更された。サンデーレースでよく利用される。

その昔富士グランチャンピオンレース(富士GC)が開催されたことがある。キャンディーズのコンサートも併催された。チームルマン監督の土沼広芳がこれを見てレース業界に入ろうと決めたともいわれている。

2012年3月まで中村隆士が経営者で、当サーキットと富山県富山市八尾町平林のおわらサーキットとをリンクさせ経営していたがその中村隆士は土地所有者(地権者)となり現在の経営者は不明。

アクセス

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その他

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 テレビ朝日のテレビ番組「ナニコレ珍百景」で「ドキドキする農作業」というタイトルで投稿があり、サーキットの内側に畑があることが紹介された[2]。その後、同番組で再度取材され、2019年現在も畑は健在だが、高齢化で畑を辞める人が多く、利用しているのは1人だけになってしまったという[3]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 路線バス”. ウエスト観光バス. 2019年9月16日閲覧。
  2. ^ 珍百景コレクション”. www.tv-asahi.co.jp. 2019年7月21日閲覧。
  3. ^ 珍百景セレクション&その後”. www.tv-asahi.co.jp. 2019年7月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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