日本航空輸送研究所
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日本航空輸送研究所(にほんこうくうゆそうけんきゅうしょ)は1922年(大正11年)6月4日に設立された日本の民間航空会社である[1]。堺市の大浜水上飛行場を拠点に、郵便・貨物・旅客の定期航空路線を運航した。チャーター便やエアタクシー事業も行った。路線は、堺‐小松島、堺‐高松‐松山[2]、堺‐大分、堺‐白浜などである[3]。後に拠点を大阪市大正区の木津川河口付近に移し、大阪‐別府間の路線などを開設した。1939年(昭和14年)10月31日に業務を停止した。
徳島県出身のタクシー会社経営者の井上長一が設立した。大日本帝国海軍から操縦者の紹介を受け、払い下げられた横廠式イ号甲型水上練習機、一四式水上偵察機、愛知AB-4飛行艇、スーパーマリン サザンプトンなどを運用した。国策会社である大日本航空の設立により、日本航空輸送研究所は1939年(昭和14年)10月31日に業務を停止した。戦後、井上元社長は関西汽船と共に極東航空を立ち上げ、これが日本ヘリコプター輸送と合併して全日本空輸となった。
跡地は出島漁港と堺出島ヨットハーバーに姿を変え、漁港奥手に航空輸送発祥記念碑がある。格納庫跡には堺市消防局本庁舎が建っている。
脚注
[編集]- ^ “データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. www.i-manabi.jp. 2020年3月4日閲覧。
- ^ “定期航空案内 日本航空輸送研究所”. k-yanai.net. 2021年6月27日閲覧。
- ^ 藤本雅之 (2007). “新居浜の航空路回顧”. 愛媛県総合科学博物館研究報告 12: 20 .
外部リンク
[編集]- 物の始まりなんでも堺 大浜飛行場 - ライフサポート・ラボ(2005年1月4日時点のアーカイブ)