日本製紙石巻工場
日本製紙石巻工場 | |
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日本製紙石巻工場(2022年10月24日) | |
操業開始 | 1940年12月 |
場所 | 宮城県石巻市 |
座標 | 北緯38度25分18.3秒 東経141度17分27.6秒 / 北緯38.421750度 東経141.291000度座標: 北緯38度25分18.3秒 東経141度17分27.6秒 / 北緯38.421750度 東経141.291000度 |
業種 | 製紙業 |
生産品 | 塗工紙、微塗工紙、中質紙、書籍用紙、PPC用紙[1] |
従業員数 | 507人(2014年4月1日現在)[1] |
敷地面積 | 1,110,907m2[1] |
住所 | 宮城県石巻市南光町2-2-1[1] |
所有者 | 日本製紙 |
日本製紙石巻工場は、宮城県石巻市南光町にある日本製紙グループの製紙工場である。
設備
[編集]石巻港西側の臨海部に立地しており、原材料となる木材チップは隣接する石巻港で陸揚げしている。本工場で生産された製品は工場西側にある仙石線石巻港駅へ接続する専用線によって出荷される。生産に使用する工業用水は旧北上川から取水している。[1]蒸気および電力はボイラー7缶、タービン7機の動力設備により自家供給している。[1]
抄紙機6台、塗工機2台により、塗工紙、微塗工紙、中質紙、書籍用紙、PPC用紙など各種印刷・情報用紙を年間85万トン生産しており、[1]日本国内の書籍用紙の約4割が本工場で生産されている。
歴史
[編集]1938年(昭和13年)に東北振興パルプ株式会社によって設立され、1940年12月に操業を開始した。1968年(昭和43年)3月31日に会社合併により十條製紙石巻工場となり、1993年(平成5年)4月1日の社名変更により、現在の日本製紙石巻工場となった。
東日本大震災による被害
[編集]東日本大震災では津波により、工場設備に甚大な被害を受けた。地震発生当時、構内にいた1306人の従業員は避難して全員無事だったものの[2]、工場1階が浸水、出荷前の製品も流出した。
3月26日に社長の芳賀義雄が工場を視察し、工場の復興を宣言した。3月下旬より津波により流入した土砂および瓦礫の撤去を開始、被害を受けなかった他工場で編成した復興支援チームの応援も受け、半年後の操業再開を目指して工場設備の復旧作業が行われた。[2] 8月10日に蒸気を供給する6号重油ボイラーを再稼働[3]、8月20日に1号バイオマスボイラーの連続運転を開始、併設するN1タービンによる自家発電を開始した。電力の一部(最大40,000kW)は東北電力へ供給された。1号バイオマスボイラーは木くずを燃料としていることから、宮城県からの要請により震災で発生した木質系瓦礫を受け入れ燃料としている。[4]
9月16日に8号抄紙機の運転を再開、被災から半年で操業再開にこぎ着けた。[5]その後、順次設備を復旧し、2012年3月6日には、主力設備であるN6号が運転再開[6]、8月30日、N2号抄紙機および2号塗工機の運転再開により、復興計画で予定されていた抄紙機6台、塗工機2台が全て復旧し、従前の生産能力を取り戻した。[7]
硬式野球部
[編集]社会人野球チームとして日本野球連盟に加盟する日本製紙石巻硬式野球部の本拠地である。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 日本製紙株式会社. “日本製紙株式会社石巻工場”. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b 日本製紙株式会社 (2012). 日本製紙グループ CSR報告書2012 (PDF) (Report). 2015年3月14日閲覧。
- ^ 『石巻工場で自家発電設備の稼働を再開~8月10日、6号ボイラーに火入れ~』(プレスリリース)日本製紙株式会社、2011年8月9日 。2015年3月14日閲覧。
- ^ 『石巻工場で東日本大震災の木質系瓦礫を燃料として受け入れ』(プレスリリース)日本製紙株式会社、2011年8月22日 。2015年3月14日閲覧。
- ^ 『石巻工場で8号抄紙機の運転を再開~津波の直撃以来、半年ぶりに印刷用紙を生産~』(プレスリリース)日本製紙株式会社、2011年9月16日 。2015年3月14日閲覧。
- ^ 『石巻工場でN6号抄紙機の運転を再開』(プレスリリース)日本製紙株式会社、2012年3月9日 。2015年3月14日閲覧。
- ^ 『石巻工場が完全復興~N2号抄紙機・2号塗工機の運転を再開~』(プレスリリース)日本製紙株式会社、2012年8月13日 。2015年3月14日閲覧。