日置貴之 (プロデューサー)
日置 貴之(ひおき たかゆき、1974年[1] - )は、日本のスポーツビジネスコンサルタント、スポーツイベントプロデューサー、実業家。スポーツブランディングジャパン株式会社代表取締役[1][2]。イージープロダクション株式会社取締役。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスのCOOを務める。2020年東京オリンピックの開会式と閉会式では、エグゼクティブプロデューサーを務めた。
経歴
[編集]都立西高校卒業[3]、上智大学文学部新聞学科へ進学[3]、1998年に株式会社博報堂に入社[1]。その後FIFA Marketing AG(FIFAの子会社)に転職し、2002FIFA WORLD CUPKOREA/JAPANのマーケティング業務を行う[1]。
2003年に独立し、スポーツマーケティングジャパンを設立[1][4][注釈 1]。日本国内外のスポーツ団体と提携し、イベント運営、事業コンサルティング、放映権販売などを行う[5][6]。スポーツマーケティングジャパン社公式サイトによれば、日置はセリエA、NFL[注釈 2]、NBA、WWE、UFCの日本におけるマーケティングやデジタルメディアの業務を行った[1]。2018年時点ではESPN、ブリザード・エンターテイメント(eスポーツ)などの日本事業パートナーとしても活動している[6]。
2004年には日本ハムファイターズの北海道移転におけるブランディングを行う[1]。以後も同球団のブランディング、ミッションビジョン開発やユニフォームデザイン開発、ファン・エンゲージ業務などの事業で携わっている[5][7]。
北京オリンピック野球競技の予選大会[注釈 3]で放送とマーケティングの責任者を務めた[6]。
2010年より、プロアイスホッケークラブであるH.C.栃木日光アイスバックスの運営会社である栃木ユナイテッドの取締役兼マネージメントディレクターを務める[1]。代表取締役のセルジオ越後が、スポーツマーケティングのプロとして招聘したものといい[9]、チームの再建およびリーグの再建に携わる。
2014年より東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に関わる[6]。2015年より東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の開閉会式のエグゼクティブロデューサーを務める[4]。2016年リオデジャネイロオリンピック閉会式では、フラッグハンドオーバーのチーフプロデューサーも務めた[6]。
また、スポーツに特化したライブ中継の制作会社「Easy Production」、プロ野球のファームを中心としたライブ配信サービス「イージースポーツ」を運営する。
2020年東京オリンピックの開会式と閉会式では、エグゼクティブプロデューサーを務めた。
2020年8月、HALF TIME株式会社のアドバイザーに就任[4]。
2021年4月、DX時代のスポーツ産業の振興とスポーツエコシステムの確立を目的とする、スポーツエコシステム推進協議会のアドバイザリーボードに就任。
外部リンク
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i “management”. スポーツブランディングジャパン株式会社 (2015年3月17日). 2021年8月9日閲覧。
- ^ “【イベントレポート】スポーツビジネスの豪華トップランナー達が語る「プロスポーツビジネス 私たちの成功事例」! - SPORTS JOB NETWORK”. sjn.link. 2021年8月9日閲覧。
- ^ a b “卒業生探訪 - 45期 日置 貴之 「常に正しいと思える“選択”を」 | 都立西高アメリカンフットボール部 OWLS”. 都立西高アメリカンフットボール部 OWLS ホームページ. 2024年1月29日閲覧。
- ^ a b c “日置貴之氏(スポーツブランディングジャパン代表取締役)がHALF TIMEのアドバイザーに就任 - HALF TIME株式会社”. HALF TIME. 2021年8月9日閲覧。
- ^ a b c “北海道日本ハムファイターズ・スカイブルー新ユニフォームのデザイン開発”. スポーツブランディングジャパン (2018年6月10日). 2021年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e “世界の一流が集まる次世代スポーツサミット “Sport Innovation Summit Tokyo 2018” 登壇スピーカーにパラ・パワーリフティング 山本 恵理選手、 モデレーターに日置貴之氏、後援に経済産業省とスポーツ庁が決定”. @Press (2018年11月14日). 2021年8月9日閲覧。
- ^ “「HOKKAIDO PRIDE~北海道の誇りを胸に~」を表現 ユニフォームデザインを刷新”. 北海道日本ハムファイターズ (2011年1月29日). 2021年8月9日閲覧。
- ^ “2008年 北京五輪”. 日本プロ野球機構. 2021年8月10日閲覧。
- ^ “「アイスホッケー界の日ハム」を作ったチェアマンの「夏は野球、冬はホッケー」の総合型スポーツクラブ化構想”. ハーバー・ビジネス・オンライン (2019年4月14日). 2021年8月9日閲覧。