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日野資施

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
日野資施
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和4年(1767年
死没 文政元年4月17日1818年5月21日
別名 通称:多吉郎、玄蕃
官位 従五位下侍従伊予守
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家斉
氏族 高家肝煎畠山家高家日野家
父母 父:畠山義紀、養父:日野資直
兄弟 資施畠山義周山本常誠ら 計5男6女
正室:日野資直娘
継室:神保喜内
資盈、女子4人
養子:資邦
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日野 資施(ひの すけもち)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本高家日野家6代当主。

略歴

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明和4年(1767年)、高家旗本畠山義紀の次男として誕生した。1530石を知行していた高家旗本・日野資直の養子となる。

天明7年(1787年)12月23日、11代将軍・徳川家斉御目見する。寛政4年(1792年)8月3日、家督を相続した。享和2年(1802年)12月20日、高家に就任し、従五位下侍従伊予守に叙任する。文化4年(1807年)3月28日、高家を辞任する。文政元年(1818年)4月17日、死去。享年52。

長男の資盈が早世していたため、嫡孫の資邦が家督を相続した。

逸話

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根岸鎮衛の著書『耳袋』には資施の体験談として、重病で臥していた家来の住居の前で火の玉(人魂)を見付けたところ、ほどなくその家来が死去したという話が収録されている。

出典

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先代
日野資直
高家日野家第6代当主
1792年 - 1818年
次代
日野資邦