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旦椋神社 (宇治市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旦椋神社

拝殿
所在地 京都府宇治市大久保町北ノ山109
位置 北緯34度52分21.1秒 東経135度46分29.7秒 / 北緯34.872528度 東経135.774917度 / 34.872528; 135.774917 (旦椋神社 (宇治市))座標: 北緯34度52分21.1秒 東経135度46分29.7秒 / 北緯34.872528度 東経135.774917度 / 34.872528; 135.774917 (旦椋神社 (宇治市))
主祭神 高皇産霊神
神皇産霊神
菅原道真
社格 式内社(小)
村社
創建 不詳
本殿の様式 二間社流造
例祭 10月8日
地図
旦椋神社の位置(京都府内)
旦椋神社
旦椋神社
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旦椋神社(あさくらじんじゃ)は、京都府宇治市大久保町北ノ山にある神社式内小社で、旧社格は旧村社

祭神

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歴史

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この神社の創建年代等については不詳であるが、古くは宇治市大久保旦椋(現在地の西方)の位置にあったとされ、旧跡の発掘調査によると、田の中に長径5.3m、短径3.6m、高さ50cmの盛土が残っており、草の繁茂した表土下に、20cmぐらいの大きさの川原石が平坦に敷かれていた。その表面近くから瓦片が出土したことから、石敷きの上に小さな社がおそらく南面してあったと推定される。

天文19年(1550年)に社殿を焼失したが、永禄9年(1566年)20余年祭祀が断絶していた天満天神の地に社殿を再興し、天満天神を合祀した。再興後は村の産土神として、天神社、栗隈天神社、栗隈天満宮などと呼ばれていた。明治6年(1873年)8月に村社に列格し、同10年(1877年)6月には式内旦掠神社と認定された。

境内

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祭事

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交通アクセス

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