旧二本松藩戒石銘碑
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旧二本松藩戒石銘碑(きゅうにほんまつはんかいせきめいひ)は、二本松藩第7代藩主丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、藩士の戒めとして旧二本松城の入り口にあたる場所(現福島県二本松市郭内3丁目)に設置した石碑。一夜のうちに自然石(花崗岩)の露出面に刻まれたという。
刻まれた文言とその意味
[編集]石碑には16字が4字4行に刻まれている。原本は縦書きである。
爾俸爾禄
民膏民脂
下民易虐
上天難欺
寛延己巳之年春三月
碑文の意は「お前のいただく俸禄は人民の汗であり脂(あぶら)である。下民は虐げやすいが上天をあざむくことはできない」で、藩政改革と綱紀粛正の指針を示したものとされる。
「寛延己巳」とは寛延2年のことで、同年3月は西暦では1749年の4月から5月にかけてに相当する。
史跡指定
[編集]本碑は、1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定された。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 先人の偉業 戒石銘の精神に学ぶ - 福島県教育委員会
- 「戒石銘碑」拓本 - 二本松市