旧市川家住宅
旧市川家住宅 | |
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情報 | |
用途 | 史跡 |
旧用途 | 庄屋 |
構造形式 |
木造平屋建[1] 入母屋造、平入、茅葺 |
敷地面積 | 1,362 m² [2] |
延床面積 | 175 m² [1] |
竣工 | 1709年(1769年移築) |
所在地 |
〒470-0123 愛知県日進市野方町東島384 |
座標 | 北緯35度07分44.1秒 東経137度02分00.6秒 / 北緯35.128917度 東経137.033500度座標: 北緯35度07分44.1秒 東経137度02分00.6秒 / 北緯35.128917度 東経137.033500度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2013年12月24日 |
旧市川家住宅(きゅういちかわけじゅうたく)は、愛知県日進市にある史跡。江戸時代中期の宝永6年(1709年)に愛知郡植田村に建てられ、明和6年(1769年)に愛知郡野方村に移築されたとされる庄屋建築である。1,362m2の敷地に175m2の主屋と座敷2棟が建つ。
歴史
[編集]木綿問屋を営み、野方村の庄屋を務めていた市川藤蔵の住宅として建設された[3]。宝永6年(1709年)に愛知郡植田村(現・名古屋市天白区)に建てられ、明和6年(1769年)に愛知郡野方村(現・日進市)の現在地に移築されたとされる[3]。それぞれ飯田街道沿いに発達した村であり、両村には4.5キロメートルの距離がある。
1998年(平成10年)頃までは市川家の住居として使われていたが、その後無人となったため、2012年(平成24年)8月には所有者の市川清子から日進市に寄付された[2][4]。主屋と座敷2棟に加えて、隣接する1,250m2の水田も同時に寄付されている[5][4]。日進市が名古屋市立大学大学院芸術工学研究科の溝口正人教授に調査を依頼し、学術的価値が高いことが判明[4]。上屋の4本の柱を梁でつなぐ形式は尾張地方特有の「四つ建て」(鳥居建て)と呼ばれる形式であり、建造年代が明らかな事例は貴重とされる[3]。木造平屋建の主屋は、土間、クド(煮炊き場)、馬屋、板の間、納戸・奥納戸、縁側、座敷、中の間の9つの部分に仕切られる[1]。調査の過程では明治時代から昭和初期頃の新愛知新聞など計73枚の新聞が発見され、中には中日新聞資料部や愛知県図書館ですら閲覧することができない尾三新聞もあった[6]。
日進市は国の登録有形文化財への登録を申請し、2013年(平成25年)12月24日に主屋が登録された[3][7]。日進市は9400万円をかけて改修整備工事を行い、2015年(平成27年)6月1日から一般公開が行われている[1]。
ギャラリー
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駐車場から見た主屋(右)と別棟
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板の間
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座敷(手前)と中の間(左奥)
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庭園
利用案内
[編集]- 開館時間 : 9時から16時
- 開館日 : 毎週木曜・金曜・土曜・日曜(祝日も開館)
- 入場料 : 無料
- アクセス : 名鉄バス日進中央線「野方」下車後徒歩1分
脚注
[編集]- ^ a b c d 「古民家を高齢者の寺子屋に 日進市、240年前の住宅譲り受け」朝日新聞、2012年9月13日
- ^ a b 「江戸期の生活に思いはせて 日進の旧市川家 4日開館へ式典」中日新聞、2015年6月1日
- ^ a b c d 旧市川家住宅 日進市
- ^ a b c 「日進の『旧市川家住宅』 生涯学習の拠点へ 歴史や構造など説明会 江戸中期の建築そのまま」中日新聞、2013年6月23日
- ^ 「日進の市川家住宅 江戸中期古民家 地域交流拠点に 所有者が寄付、市が整備へ」中日新聞、2012年9月1日
- ^ 「日進の市川家住宅で発見 107年前の『新愛知新聞』 明治から昭和初期 全部で73枚」中日新聞、2012年12月2日
- ^ 「有形文化財新たに13件 県内 筧家住宅など、計391件に」中日新聞、2013年7月20日