旧東京音楽学校奏楽堂
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旧東京音楽学校奏楽堂 | |
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施設情報 | |
前身 | 東京音楽学校奏楽堂 |
専門分野 | 音楽 |
来館者数 | 23,865名(平成21年)[1] |
事業主体 | 台東区 |
管理運営 | 財団法人台東区芸術文化財団[1] |
年運営費 |
13,756,517円[1] (平成21年管理経費[決算]) |
建物設計 | (#建築概要を参照) |
延床面積 | 1,851.39m2[1] |
開館 | 1987年 |
所在地 |
〒110-0007 東京都台東区上野公園8番43号[1] |
位置 | 北緯35度43分4.92秒 東経139度46分23.25秒 / 北緯35.7180333度 東経139.7731250度座標: 北緯35度43分4.92秒 東経139度46分23.25秒 / 北緯35.7180333度 東経139.7731250度 |
アクセス |
JR・東京メトロ上野駅 京成本線京成上野駅より徒歩 |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:GLAM |
旧東京音楽学校 奏楽堂(きゅうとうきょうおんがくがっこう そうがくどう)は、東京都台東区の上野公園にある、日本近代建築史における歴史的建造物。日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールとされる。
概要
[編集]文部技官の山口半六と久留正道の設計[2]により、東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校のオーディトリウム(演奏会場)として、1890年(明治23年)に建設された。中央家と翼家からなり、奏楽堂とは中央家2階にある講堂兼音楽ホールのことであるが、今日建物そのものの名称となっている。
1972年(昭和47年)、老朽化のため大学構内から愛知県犬山市にある博物館明治村への移築保存で合意されたが、日本建築学会、音楽家グループ、市民らの反対により撤回され、1983年(昭和58年)に台東区へ譲渡された。
1984年(昭和59年)、台東区は解体・修理後に上野公園内へ移築を行い、1987年(昭和62年)10月から一般公開が開始した。翌1988年(昭和63年)1月、国の重要文化財に指定された[2][注 1]。1987年から2003年まで、日本近代音楽館の分室が設置された[3]。
建物の傍らには、明治期の日本の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人で、東京音楽学校の卒業生である瀧廉太郎の銅像が設置されている。
2014年(平成25年)4月から2018年(平成30年)11月まで休館し、保存活用工事が実施された[4]。
施設
[編集]- ホール - 客席338席(梁行16.4m、桁行26.4m)[5]
- パイプオルガン - 日本最古級のコンサート用オルガンの一つ。アボット・スミス社(Abbott and Smith)製、パイプ総数1,379本、26ストップ、現存日本唯一の空気式アクション機構。1928年(昭和3年)、徳川頼貞からの寄贈により設置された。
建築概要
[編集]ホール中央部天井をヴォールト状にするなど音響への配慮、壁面・床下に藁・大鋸屑を詰めた層を設けるなど遮音への配慮がなされている。
- 設計 - 山口半六、久留正道[2]
- 竣工 - 1890年(明治23年)5月
- 構造 - 木造、地上2階建て、桟瓦葺
- 音響設計 - 上原六四郎
- 所在地 - 〒110-0007 東京都台東区上野公園8番43号
特記事項
[編集]- 開館時間、休館日、料金、コンサート開催日などの利用情報については、公式サイトを参照のこと。
- 現在の東京芸術大学音楽学部の校地内に、コンサートホールとして新しく建設された「東京藝術大学奏楽堂」があるため、演奏会鑑賞に当たっては会場の混同に注意のこと。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 「東京都台東区立旧東京音楽学校奏楽堂」:平成22年度 指定管理者施設管理評価シート
- ^ a b c 旧東京音楽学校奏楽堂 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 日本近代音楽館館報 終刊号(日本近代音楽財団日本近代音楽館、2010.3)
- ^ “旧奏楽堂について”. 旧東京音楽学校奏楽堂. 公益財団法人 台東区芸術文化財団 (2016年1月12日). 2019年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月10日閲覧。
- ^ 台東区文化ガイドブック・旧東京音楽学校奏楽堂を歩く(P3)
外部リンク
[編集]- 旧東京音楽学校奏楽堂(公式サイト) - ACT-台東区芸術文化財団
- 台東区
- 日本の近代遺産 50選 旧東京音楽学校奏楽堂 - 日本経済新聞社
- ウィキメディア・コモンズには、旧東京音楽学校奏楽堂に関するカテゴリがあります。