旧植松家住宅
旧植松家住宅 | |
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所在地 | 静岡県裾野市千福7-11中央公園内 |
位置 | 北緯35度11分4.7秒 東経138度54分15.7秒 / 北緯35.184639度 東経138.904361度座標: 北緯35度11分4.7秒 東経138度54分15.7秒 / 北緯35.184639度 東経138.904361度 |
類型 | 民家 |
形式・構造 | 木造、寄棟造り、茅葺 |
文化財 | 重要文化財(建造物) |
旧植松家住宅(きゅううえまつけじゅうたく)は、静岡県裾野市千福の裾野市中央公園内にある古民家。国の重要文化財に指定されている[1]。植松家は建久4年(1193年)に尾張国津島より当地に移住し、江戸時代には当地の名主を務めた[2]。1971年(昭和46年)には文化庁の古民家緊急調査対象となり、1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定され、翌1974年(昭和49年)に裾野市中央公園に移築された[2]。
構造
[編集]寄棟造りで正面から北側にかけて土庇が巡っており、東を正面とし、土間、広間、座敷、納戸の3間取りで構成されている[3]。桁行16.059メートル、梁間北面7.878メートル、南面8.787メートル[3]。
歴史
[編集]建築年代
[編集]建物は建造年代についての資料はない。形式手法からみて、江戸時代中期(1700年頃)の建築と推測される[4]。
建物
[編集]1971年(昭和46年)に裾野市石脇328番地にあった植松家住宅が文化庁の古民家緊急調査の対象になり、調査の結果、1973年(昭和48年)6月2日、国の重要文化財に指定された。これを受け、植松家が裾野市にこの建物を寄贈し、元の土地に新宅を建てたため、旧宅を保存するために裾野市中央公園(裾野市千福松ヶ窪)に植松家住宅を移築し、1974年(昭和49年)6月30日移築、修理が完了し、現在に至る[5]。
建物の位置の推移
[編集]何度か住宅の位置が変わっており、宝永5年(1708年)2月には、住宅は深良用水の東に存在した。延享元年(1744年)と文政3年(1820年)には、深良用水が門前に流れる位置にある[6]。これについては、宝永2年(1705年)6月26日の夜、深良村須釜の新土手が決壊する大水害が起こったおり、浸水被害をうけたものとみられ[7]、次いで、宝永4年11月(1707年)宝永山の噴火の被害をうけたため、環境が安定した頃に、旧建物の用材をもって、移築したものと推察される。
植松家
[編集]植松家は富士山南側の愛鷹山の東側に住む農家である。口伝によると、建久4年(1193年)源頼朝が富士の裾野で鷹狩りをした頃、尾張国津島よりこの地に移住し、代々名主を務めたといわれる[8]。
施設案内
[編集]- 営業時間:8時30分 - 17時(10/1~3/31は16時まで)[9]
- 休園日:年末年始(12/29 - 1/3)[9]
- 入園料:無料
- 駐車場:約50台(バス用駐車場あり)※閉園時間中は施錠[9]
- 団体利用:利用申請書を提出する必要あり[1]
画像
[編集]-
旧植松家住宅内の炊事場
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旧植松家住宅内部
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旧植松家住宅内部の天井梁
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2018年当時の外観
交通アクセス
[編集]- JR御殿場線裾野駅から徒歩26分(2 km)[10]
- 東名高速道路裾野インターチェンジから車で約10分(車で国道246号裾野バイパス千福南交差点を曲がりすぐ)[10]
- すそのーる富岡・深良循環「中央公園前」下車すぐ[10]
脚注
[編集]- ^ a b “国指定文化財”. 裾野市ホームページ. 2023年11月3日閲覧。
- ^ a b 裾野市教育委員会 2002, p. 12.
- ^ a b 文化財建造物保存技術協会 1974, p. 3.
- ^ 裾野市教育委員会 2002.
- ^ 『重要文化財(建造物)植松家住宅』裾野市教育委員会、1994年、pp.1-2
- ^ 石脇村絵図
- ^ 裾野市史編さん専門委員会 2000, pp. 438–439.
- ^ 文化財建造物保存技術協会 1974, p. 1.
- ^ a b c “中央公園”. 裾野市ホームページ. 2023年11月3日閲覧。
- ^ a b c “裾野市中央公園パンフレット” (PDF). 裾野市ホームページ. 2023年11月3日閲覧。