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旧玉置家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧玉置家住宅
旧玉置家住宅の位置(兵庫県内)
旧玉置家住宅
情報
旧用途 切手会所
構造形式 木造
建築面積 166 m²
高さ 平屋建
竣工 文政9年(1826年)
所在地 673-0431
兵庫県三木市本町2丁目2-17
座標 北緯34度47分55.4秒 東経134度59分2.7秒 / 北緯34.798722度 東経134.984083度 / 34.798722; 134.984083 (旧玉置家住宅)座標: 北緯34度47分55.4秒 東経134度59分2.7秒 / 北緯34.798722度 東経134.984083度 / 34.798722; 134.984083 (旧玉置家住宅)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2002年2月14日
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旧玉置家住宅(きゅうたまおきけじゅうたく)は、兵庫県三木市本町2丁目2-17にある建築物。文政9年(1826年)竣工の主屋などが登録有形文化財。周辺には旧小河家別邸黒田清右衛門商店などがある[1]

歴史

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館林藩切手会所

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延享4年(1747年)、播磨国美嚢郡三木町(現・三木市)は上野国館林藩の領地となった[2]。天明年間(1781年~1789年)には三木金物が勢力を拡大させ、文政6年(1823年)には三木町の中町に切手会所が開設された。

文政9年(1826年)には三木城下の湯の山街道美嚢川に挟まれた場所に、この建物が切手会所として竣工した[2]。天保13年(1842年)には三木町が館林藩から明石藩の領地に変わった[2]

玉置家住宅

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明治初期には雲龍寺の僧が玉置姓を名乗って受け継ぎ[3]、1875年(明治8年)にこの建物が玉置家住宅となった[2]。玉置家初代の玉置大器、三十八銀行取締役や三木町長などを務めた玉置家3代目の玉置福蔵によって離れ座敷や渡り廊下が増築された[2]。玉置家出身の人物には医師の玉置大器(初代と同名、カルガリー大学医学部教授)などもいる。

観光施設として

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2001年(平成13年)に建物が玉置家から三木市に寄贈され[3]、2002年(平成14年)2月14日、主屋などが登録有形文化財に登録された[4]。2010年(平成22年)2月には改修工事が完了して一般公開が開始された[3]

建物

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  • 主屋 - 文政9年(1826年)竣工。
  • 北土蔵 - 明治時代竣工。
  • 西土蔵 - 明治時代竣工。
  • 東土蔵 - 明治時代竣工。
  • 離れ座敷 - 明治時代竣工。
  • 渡り廊下 - 明治時代竣工。

利用案内

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  • 入館料:無料
  • 開館時間:午前10時~午後4時
  • 休館日:毎週火曜日

脚注

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  1. ^ 「三木市観光の案内拠点 旧玉置家住宅」『広報みき』三木市、2023年2月号、p.32
  2. ^ a b c d e 旧玉置家住宅 三木市
  3. ^ a b c 「リニューアルから10年で10万人 旧玉置家住宅で記念イベント」『神戸新聞』2020年2月24日
  4. ^ 旧玉置家住宅主屋 文化遺産オンライン

外部リンク

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