旧玉置家住宅
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旧玉置家住宅 | |
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情報 | |
旧用途 | 切手会所 |
構造形式 | 木造 |
建築面積 | 166 m² |
高さ | 平屋建 |
竣工 | 文政9年(1826年) |
所在地 |
〒673-0431 兵庫県三木市本町2丁目2-17 |
座標 | 北緯34度47分55.4秒 東経134度59分2.7秒 / 北緯34.798722度 東経134.984083度座標: 北緯34度47分55.4秒 東経134度59分2.7秒 / 北緯34.798722度 東経134.984083度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2002年2月14日 |
旧玉置家住宅(きゅうたまおきけじゅうたく)は、兵庫県三木市本町2丁目2-17にある建築物。文政9年(1826年)竣工の主屋などが登録有形文化財。周辺には旧小河家別邸や黒田清右衛門商店などがある[1]。
歴史
[編集]館林藩切手会所
[編集]延享4年(1747年)、播磨国美嚢郡三木町(現・三木市)は上野国館林藩の領地となった[2]。天明年間(1781年~1789年)には三木金物が勢力を拡大させ、文政6年(1823年)には三木町の中町に切手会所が開設された。
文政9年(1826年)には三木城下の湯の山街道と美嚢川に挟まれた場所に、この建物が切手会所として竣工した[2]。天保13年(1842年)には三木町が館林藩から明石藩の領地に変わった[2]。
玉置家住宅
[編集]明治初期には雲龍寺の僧が玉置姓を名乗って受け継ぎ[3]、1875年(明治8年)にこの建物が玉置家住宅となった[2]。玉置家初代の玉置大器、三十八銀行取締役や三木町長などを務めた玉置家3代目の玉置福蔵によって離れ座敷や渡り廊下が増築された[2]。玉置家出身の人物には医師の玉置大器(初代と同名、カルガリー大学医学部教授)などもいる。
観光施設として
[編集]2001年(平成13年)に建物が玉置家から三木市に寄贈され[3]、2002年(平成14年)2月14日、主屋などが登録有形文化財に登録された[4]。2010年(平成22年)2月には改修工事が完了して一般公開が開始された[3]。
建物
[編集]- 主屋 - 文政9年(1826年)竣工。
- 北土蔵 - 明治時代竣工。
- 西土蔵 - 明治時代竣工。
- 東土蔵 - 明治時代竣工。
- 離れ座敷 - 明治時代竣工。
- 渡り廊下 - 明治時代竣工。
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主屋
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小河酒造の展示
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主屋の土間
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中庭と渡り廊下
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敷地全体
利用案内
[編集]- 入館料:無料
- 開館時間:午前10時~午後4時
- 休館日:毎週火曜日