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明光鎧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明光甲から転送)

明光鎧(めいこうがい、めいこうよろい[1])とは、中国の甲冑・の形式の一つ。古代後期に用いられた。

概要

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後漢末期に登場し、南北朝時代から代にかけて広く使用された。胸部と背部を楕円形の鉄板で保護した鎧。中国では小札を繋ぎ合わせた鎧が主流であるが、明光鎧は急所となる上半身を一枚の鉄板で作ることで防御力を高めている。

小説ドラマゲーム等では三国時代武将たちがこの鎧を着た姿で登場することが多く、「中国の鎧」としてのイメージが一般に定着しているが、三国時代のでは全身を状の金属片で覆う筒袖鎧という形式が一般的で、実際に明光鎧を使用していたのは一部の位の高い将官に限られていたと思われる。

構造

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胸の前と背中には「円護」と呼ばれる鉄製の大きな丸い保護カバーが装着されており[1]、その表面はによる腐食を防ぐ目的でが塗られたうえで磨かれていた。そのため円護の表面は鏡面のようで、日光をよく反射して光ったといい、これが鎧の名の由来となったという[1]

防腐処理の方法の違いによっては反射の無い物もあり、これは「黒光鎧(こくこうがい、こくこうよろい)」と呼ばれて区別される。腹部から腰部にかけては、細かい金属片を繋ぎ合わせて作り、柔軟性を持たせている。この胸背甲に、上腕を守る披膊、脚部を守る腿裙が付属する。唐代にはこれに、首筋を守る護項、肩を守る護肩が追加され、腹部も円形の鉄板で守るようになった。

バリエーション

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胸部以外の部位に使用する甲片の形状によって、細鱗甲山文甲鳥錘甲などに細分される。代の中頃になり国家が安定期に入ると、実用性よりも装飾性が重視されるようになり、華美な模様や彩色が甲冑の表面に施された。また、外見は明光鎧に似せつつ、急所以外の部位を布で作った白布甲絹甲布背甲なども登場した。唐代末期に政情が不安定になると、再び実用性が重視された金属や皮革の甲冑が使用されるようになった。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 日立デジタル平凡社世界大百科事典』第2版. “明光鎧”. コトバンク. 2020年1月28日閲覧。

参考文献

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  • 篠田耕一『武器と防具〈中国編〉』新紀元社Truth In Fantasy 13〉、1992年5月1日。OCLC 674796684 ISBN 4-88317-211-2ISBN 978-4-88317-211-5
  • 劉永華『中国古代甲冑図鑑』春日井明 監訳、アスペクト、1998年7月9日(原著1991年)。OCLC 122977336 ISBN 4-7572-0131-1ISBN 978-4-7572-0131-6
  • 歴史群像シリーズ編集部『図説・中国武器集成─決定版:刀槍・弓弩から攻城兵器まで知られざる中国武器を一挙紹介!!』学研プラス〈歴史群像シリーズ〉、2006年9月。OCLC 170008188 ISBN 4-05-604431-7ISBN 978-4-05-604431-7

関連項目

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  • 甲冑
  • 刀剣
  • 護心鏡中国語版 - 明光鎧の胸部に取り付けられている防具。中東からアジアにかけて広く使用された。鏡には魔除けの効果も期待されていた。

外部リンク

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