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明堂和也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明堂 和也
名前
愛称 ミョウさん、エネゴリ君
カタカナ ミョウドウ カズヤ
ラテン文字 MYODO Kazuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-04-04) 1986年4月4日(38歳)
出身地 富山県[1]富山市
身長 171cm[1]
体重 73kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]FW
利き足 右足
ユース
2002-2004 日本の旗 富山第一高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005 日本の旗 JAPANサッカーカレッジ 12 (3)
2006 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S
2007-2008 日本の旗 JAPANサッカーカレッジ 25 (9)
2009-2010 日本の旗 アルビレックス新潟 6 (0)
2011 タイ王国の旗 パタヤ・ユナイテッド
2012 日本の旗 カターレ富山 4 (1)
通算 47 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

明堂 和也(みょうどう かずや、1986年4月4日 - )は、富山県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード

来歴

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富山第一高校を卒業後、J1・アルビレックス新潟の下部組織である北信越フットボールリーグJAPANサッカーカレッジに加入。

2006年は同じく新潟の下部組織であるシンガポールリーグアルビレックス新潟シンガポールに移籍したが、2007年にJAPANサッカーカレッジに復帰。2008年には背番号11番を背負い、14試合に出場し8得点を挙げ活躍した。

2009年アルビレックス新潟のトップチームに入団。この年に新潟に入団した大卒選手は、東口順昭三門雄大がいる。新潟には2010年まで在籍し、2011年はタイのプレミアリーグに所属するパタヤ・ユナイテッドに完全移籍するも、8月に同クラブを退団。

2012年、地元のカターレ富山に完全移籍。同年限りでの現役引退を表明し[1]、2013年よりカターレ富山のアカデミーの指導者となった[2]

エピソード

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  • 2010年シーズンJ1第25節C大阪戦。72分に明堂の放ったシュートがゴールネットを揺らした。このゴールは一時は明堂のゴールかと思われ、会場の電光掲示板にもそのように表示されたが、実はゴールに入る直前にボールが大島秀夫の足に当たっていたため、記録上は大島の得点となった。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 JSC 北信越 12 3 - 0 0 12 3
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2006 新潟S Sリーグ -
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 JSC 9 北信越 11 1 - 2 0 13 1
2008 11 14 8 - - 14 8
2009 新潟 19 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 6 0 0 0 0 0 6 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2011 パタヤ 25 プレミア
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 富山 29 J2 4 1 - 0 0 4 1
通算 日本 J1 6 0 0 0 0 0 6 0
日本 J2 4 1 - 0 0 4 1
日本 北信越 37 12 - 2 0 39 12
シンガポール Sリーグ
タイ プレミア
総通算

指導歴

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  • 2013年 - 2015年 カターレ富山スクールコーチ
  • 2015年 - 2017年 カターレ富山U-15コーチ
  • 2017年 - 2019年 カターレ富山U-18コーチ
  • 2019年 - 2021年 カターレ富山U-18監督
  • 2021年 - 2023年 カターレ富山U-15監督
  • 2024年 - カターレ富山U-18監督

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 明堂和也選手 現役引退のお知らせ カターレ富山 2012.11.23
  2. ^ 2024シーズン カターレ富山 アカデミー・スクールスタッフについて”. カターレ富山. 2024年7月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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