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中国の家具

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明式家具から転送)
上海博物館に展示された明式家具。文人書斎を再現している。

中国の家具(ちゅうごくのかぐ)では、中国家具について述べる。特に代の明式家具[1][2][3][4](みんしきかぐ)または明清家具[4][5](みんしんかぐ)は中国美術にも数えられる[5]

明清以前

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東晋顧愷之女史箴図中国語版』に描かれた牀と凳[6]
五代十国顧閎中中国語版韓煕載夜宴図中国語版』に描かれた牀など[6]

中国古典には当時の家具の名が散見される。例えば『論語』にはせきという家具(むしろござ座布団のようなもの[7][8])が出てくる。後漢の辞書『釈名』には家具名が列挙されており[9][10]、席のほかしょうしょうとも書く[6]、ベッドと長イスを兼ねる低足の台座)・とう(牀に似たもの[11])・あんともいう[12]、低足のテーブルまたは肘置き[12])・屏風などの存在が伝わる。

中国考古学においては、戦国楚の大型の牀(信陽長台関楚墓)や[13][14][12]、孔子が描かれた前漢の屏風(海昏侯墓[15]などの出土例がある。画像石の画中や[11][16][8]副葬品明器中国語版(生前の品のミニチュア模型)にも[17]、家具が見られる。

イスの出現

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高足のイスやテーブルが一般的になるのは、代からである[7][14]。唐代より前は、上記の牀などに席を敷き、正座)や(膝立ち)などの座法で座っていた[12]。後漢末に西域から胡牀こしょう(軍隊用の折り畳みイス[11])が伝来し[12]、唐代までに胡牀が家具のとうとなり、卓案たくあん(桌案、高足のテーブル)などが一般化した[14]

以上の座具・座法は儒教とも関わり[18]朱熹『跪坐拝説』、王鳴盛『箕踞』や趙翼『高坐縁起』、大正日本の藤田豊八『胡床につきて』などで古くから考証されている[19]

明清

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は中国家具の最盛期とされる[20]。とくに明から清初の家具は「明式家具中国語版」と呼ばれる[2]。明式家具は、「唐木」「銘木」として知られる鉄刀木タガヤサン)や黄花梨ローズウッドの一種ニオイシタン英語版)などの硬木を基調とし[1][21]を使わずほぞ継ぎで接合され[1]、装飾を廃した簡潔の美を特徴とする[2][3]。一方、清中期以降の「清式家具」は、明式家具を継承しつつも、装飾の華美や[3][22][23]マホガニーの多用[23]を特徴とする。

明式家具の生産地として、明末清初北京蘇州徽州揚州広州などがあった[2]。時代背景として、商品経済工業の発達[24][1]海禁緩和による東南アジア木材の輸入[24][1]園林建築の流行[2][25]などがあった。明式家具は文人書斎を演出する役割も担った[20][1][26]

明式家具が登場する文献として、『金瓶梅[26]長物志中国語版[24][27]『雲間拠目抄』[28][29]魯班に仮託される明の木工技術書『魯班経中国語版[28]などがある。

現代では上海博物館などに明清家具の所蔵がある[20]。明の王錫爵中国語版墓・潘允徽墓などの出土例もある[28]

明清の家具名として、榻[30][25]・羅漢牀[11][30]・圈椅[31]・太師椅[25]・天然几[25]・屏風[32]・架格(たな[30][31][13]オンドル上のテーブル)などがある。

ギャラリー

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日本語解説つきの図版集(美術全集)として 王ほか 1996 がある。

近現代

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清中期から清末民初にかけて、中国家具は徐々に西洋化した[33]。『点石斎画報』には清末の家具の姿が見られる[34]

民国期の北京では、家具デザイナーグスタフ・エッケ英語版が中国家具を収集して書籍化し、北欧家具モダニズム様式に影響を与えた[35]

現代中国の家具企業には、国内首位の欧派家居中国語版[36]などがある。IKEA[37]ニトリ[38]など国外企業も進出している。家具デザイナーの顧永琦朱小傑は、明式家具をもとにした家具を手掛けている[33]

日本への伝来

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他の中国文化とともに、床(牀)などの家具も日本に伝来した[39][40]正倉院の宝物には、聖武天皇の「御床(御牀)」がある[11]。しかし、名称の意味が徐々にずれ、床は「ゆか」「床の間」を指すようになった[39][41](経緯は諸説ある[42])。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 郭 & 王 2016, p. 138.
  2. ^ a b c d e 尚 2021, p. 121f.
  3. ^ a b c 西村 1996, p. 43.
  4. ^ a b 金丸良子. “明清家具”. www.fl.reitaku-u.ac.jp. 麗澤大学. 2024年2月3日閲覧。
  5. ^ a b 王ほか 1996.
  6. ^ a b c 石丸 & 石村 2004, p. 1.
  7. ^ a b 吉川幸次郎訳「論語」『世界古典文学全集 4』筑摩書房、1971年、157頁。NDLJP:1349623/83
  8. ^ a b 林 2009, p. 41.
  9. ^ 林 1976, p. 199.
  10. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:『釋名』釋床帳
  11. ^ a b c d e 田中淡、平凡社『改訂新版 世界大百科事典』『』 - コトバンク
  12. ^ a b c d e 柿沼 2021, p. 121-123;359.
  13. ^ a b 石丸 & 石村 2004, p. 2.
  14. ^ a b c 王 & 朱 1996, p. 27.
  15. ^ 海昏侯墓の新発見、「孔子屏風」に姿見の機能も”. j.people.com.cn. 人民網日本語版. 2024年2月3日閲覧。
  16. ^ 西村 1996, p. 42.
  17. ^ 柿沼 2021, p. 13.
  18. ^ 郭 & 王 2016, p. 136.
  19. ^ 古勝 2007, p. 197.
  20. ^ a b c 中国文人の書斎”. www.tnm.jp. 東京国立博物館. 2024年2月3日閲覧。
  21. ^ 唐木』 - コトバンク
  22. ^ 尚 2021, p. 139.
  23. ^ a b 郭 & 王 2016, p. 140.
  24. ^ a b c 王 & 朱 1996, p. 28.
  25. ^ a b c d 石丸 & 車 1992, p. 116.
  26. ^ a b 藤原, 石丸 & 松本 2007, p. 139.
  27. ^ 藤原, 石丸 & 松本 2007, p. 140.
  28. ^ a b c 王 & 朱 1996, p. 29.
  29. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:雲間據目抄/02
  30. ^ a b c 王 & 朱 1996, p. 35.
  31. ^ a b 王 & 朱 1996, p. 33.
  32. ^ 王 & 朱 1996, p. 36.
  33. ^ a b 郭 & 王 2016, p. 143-145.
  34. ^ 相田洋『中国生活図譜 清末の絵入雑誌『点石斎画報』で読む庶民の“くらし』集広舎、2024年。ISBN 9784867350423 第三部。
  35. ^ 村松伸. “「ディスカッション」|SYMPOSIUM 2012 BEIJING|HOUSE VISION”. HOUSE VISION. 2024年2月3日閲覧。
  36. ^ 欧派家居集団(中国) ヨーロッパ風の内装大手”. 日本経済新聞 (2017年12月12日). 2024年2月3日閲覧。
  37. ^ イケアで避暑、くつろぎ過ぎる客たち 中国”. www.afpbb.com (2017年7月6日). 2024年2月3日閲覧。
  38. ^ ニトリが北京へ初出店、2店舗を同日オープン(中国) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース”. ジェトロ. 2024年2月3日閲覧。
  39. ^ a b 石丸 & 石村 2004, p. 4.
  40. ^ 朱新林. “【13-02】日中伝統家具の歴史 | Science Portal China”. spc.jst.go.jp. 2024年2月3日閲覧。
  41. ^ 石丸進 (2007年). “日本家具文化考”. www.jasis-cs.sakura.ne.jp. 2024年2月3日閲覧。
  42. ^ 藤原, 石丸 & 松本 2010, p. 210.

参考文献

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関連項目

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