明淡高速船
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明淡高速船(めいたんこうそくせん)は、かつて存在した海運会社。明石港・岩屋港(淡路島)間に高速旅客船を運航していた。
当時の本社所在地は、兵庫県淡路市岩屋。かつての関西汽船連結子会社。
概要
[編集]明淡航路を運航する播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船の両社は、明石海峡大橋開通以前から共同運航を行っていたが、開通後の2001年4月に旅客船部門を統合して、新会社明淡高速船を設立、従前の両社は持ち株会社となった[1]。
しかし、架橋による旅客の減少や、並行する明石淡路フェリー(通称:たこフェリー)が徒歩乗客の獲得に乗り出したこと(従来は深夜の便を除いて、旅客のみの乗船を認めていなかった)などから経営が悪化した。
沿革
[編集]- 2001年(平成13年)4月1日 - 播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船の旅客船部門を統合して設立、3隻体制で1日45往復を運航[1]。
- 2006年(平成18年)4月27日 - 債務超過、燃料油の高騰を理由として同年5月29日以降の運航を休止すると発表。
- 2006年(平成18年)5月19日 - 同年12月末までの運航継続を表明。
- 2006年(平成18年)11月30日 - 航路を淡路ジェノバラインに引継ぐことと、会社清算を発表。
- 2007年(平成19年)1月1日 - 航路を淡路ジェノバラインに引継ぎ、清算会社となる。
- 2007年(平成19年)6月13日 - 清算結了。[2]
航路廃止当時の状況
[編集]明石港旅客ターミナル
[編集]建物の天井が十字に切込みがあり、正午になると床に一直線の光のラインができる。
連絡運輸
[編集]- 明石港
- 淡路交通連絡乗車船券(岩屋バス停で連絡)を発売。
- 岩屋港
- JR西日本連絡乗車船券(明石駅で連絡)を発売。
船舶
[編集]- まりーんふらわあ2[3]
- 1992年4月竣工、瀬戸内クラフト建造。播淡聯絡汽船より継承。
- 104総トン、全長31.40m、型幅6.50m、型深さ2.60m、ディーゼル2基、機関出力2,200ps、航海速力24.0ノット、旅客定員235名
- 淡路ジェノバラインに継承。
- まりーんぶりっじ[3]
- 1995年3月竣工、三井造船玉野事業所建造。播淡聯絡汽船より継承。2004年引退。
- 136総トン、全長31.10m、型幅8.30m、型深さ3.15m、ディーゼル2基、機関出力3,600ps、航海速力24.00ノット、旅客定員235名
- シーワープ[3]
- 1995年4月竣工、三保造船所建造。淡路連絡汽船より継承。2004年セラヴィ観光汽船に売船。
- 134総トン、全長31.20m、型幅8.30m、型深さ2.70m、ディーゼル2基、機関出力3,600ps、航海速力28.00ノット、旅客定員204名
- しわく1[4]
- 1988年1月竣工、瀬戸内クラフト建造。もと小豆島急行フェリー、明淡高速船時代に就航。のち売却。
- 70総トン、登録長25.81m、型幅5.20m、型深さ2.42m、ディーゼル2基、機関出力2,000ps
- レットスター2
- 明淡高速船時代に就航。
- 19総トン、淡路ジェノバラインに継承。
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まりーんふらわあ2
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まりーんぶりっじ
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シーワープ
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しわく1
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レットスター2
位置情報
[編集]- 明石側乗り場 北緯34度38分36.63秒 東経134度59分32.45秒 / 北緯34.6435083度 東経134.9923472度
- 岩屋側乗り場 北緯34度35分26.89秒 東経135度1分12.03秒 / 北緯34.5908028度 東経135.0200083度
脚注
[編集]- ^ a b 世界の艦船(2001年6月号,p168)
- ^ 関西汽船 平成19年12月期 中間決算短信 - イー・ロジット
- ^ a b c 日本船舶明細書 1997 (日本海運集会所 1996)
- ^ 日本船舶明細書 1999Ⅱ (日本海運集会所 1998)