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明覚寺 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明覺寺 (京都市)
Meikaku-ji_(Kyoto)_02
明覺寺正面
所在地 京都市下京区平野町783
位置 北緯34度59分33.94秒 東経135度45分26.60秒 / 北緯34.9927611度 東経135.7573889度 / 34.9927611; 135.7573889座標: 北緯34度59分33.94秒 東経135度45分26.60秒 / 北緯34.9927611度 東経135.7573889度 / 34.9927611; 135.7573889
山号 桃源山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来(恵信作)
創建年 延徳2年(1490年)
文化財 本堂、茶室杏梁庵、土蔵、山門
公式サイト 浄土真宗本願寺派(西本願寺)桃源山明覺寺
法人番号 9130005000486 ウィキデータを編集
明覚寺 (京都市)の位置(京都府内)
明覚寺 (京都市)
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明覺寺(めいかくじ)は、京都府京都市下京区新町通り正面下るに位置する、浄土真宗本願寺派の寺院の名称である。山号は桃源山。本尊は阿弥陀如来

概要

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1490年(延徳2年)に摂津国島下郡柱本郷(現在の大阪府高槻市柱本)に創建され、本願寺と織田信長の間で行われた石山合戦を経て本願寺が現在地に寺基を移した際に共に移転し、さらに1898年(明治29年)に現在地に転じた[1][2]

文書調査によって発見された絵図によると、現在地に移転後の敷地は、区画がほぼ方形に描かれている。新町通りに面した西側に表門があり、門の左右は土塀である。表門から三間ほどの前庭を隔てて描かれている本堂は、切妻屋根の棟通りを南北に、西面が正面となっている。本堂の東西の奥行きは七間半、南北の桁行は九間になる[3]。本堂東側の庭には、三夜荘[4](本願寺第21世門主・明如上人の別荘)から移築された茶室(杏梁庵)がある。

文化財

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2022年(令和4年)10月31日に、本堂[5]と茶室杏梁庵(きょうりょうあん)[6]、土蔵[7]、山門[8]の4件が登録有形文化財(建造物)に登録された。

人物

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第17世住職の柱谷瑞俊(ずいしゅん)は、第二次大谷探検隊(1908-1910)のインド隊員を務めた1人である。

活動

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2019年より、京都市内でいち早く「お寺でコワーキング」の取り組みを始め、週に1回、本堂を開放している[9]。本堂の中は、公式ホームページ内のストリートビューで見ることができる[10]

アクセス

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  • JR京都駅より徒歩7分
  • 参拝者用駐車場なし

脚注

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  1. ^ 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『全国寺院名鑑 改訂版 近畿篇』 1970.8 p.131
  2. ^ 荒川正晴、柴田幹夫編『シルクロードと近代日本の邂逅:西域古代資料と日本近代仏教』勉誠出版 2016.3 p.558
  3. ^ 菅澤茂「柱本瑞俊の自坊・明覚寺本堂と茶室について」『シルクロードと近代日本の邂逅:西域古代資料と日本近代仏教』荒川正晴、柴田幹夫編 勉誠出版 2016.3 p.558-568
  4. ^ 「京都市南部の宇治川と山科川の合流点を見下ろす台地状に設けられた本願寺門主の別邸」(菅澤、p.560)
  5. ^ 明覺寺本堂 -国指定文化財等データベース(文化庁)
  6. ^ 明覺寺茶室杏梁庵 -国指定文化財等データベース(文化庁)
  7. ^ 明覺寺土蔵 -国指定文化財等データベース(文化庁)
  8. ^ 明覺寺山門 -国指定文化財等データベース(文化庁)
  9. ^ お寺で「コワーキングスペース」の取り組み|京都府明覺寺(2019.08.01掲載) -他力本願.net
  10. ^ 明覺寺沿革−歴史と歩み− -桃源山明覺寺

参考文献

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  • 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『全国寺院名鑑 改訂版 近畿篇』 1970
  • 荒川正晴、柴田幹夫編『シルクロードと近代日本の邂逅:西域古代資料と日本近代仏教』勉誠出版 2016.3 ISBN 978-4-585-22125-8
    • 菅澤茂「柱本瑞俊の自坊・明覺寺本堂と茶室について」 p.558-568
  • 柱本照映『桃源山 明覺寺誌』 2002
  • 白須淨眞「大谷探検隊員・柱本瑞俊資料と明覺寺資料 : 京都、桃源山明覺寺資料調査の現状報告」『広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部 文化教育開発関連領域』広島大学大学院教育学研究科 No.62 2013.12 p.375-384

関連項目

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外部リンク

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