星野靖之助
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星野靖之助 ほしの やすのすけ | |
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生年月日 | 1899年1月1日 |
出生地 | 日本 大分県 |
没年月日 | 1988年10月8日(89歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
前職 | 内務省警保局嘱託 |
所属政党 | 翼賛政治会 |
選挙区 | 北海道第4区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1942年4月30日 - 1945年12月18日 |
星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1月1日[1] - 1988年(昭和63年)10月8日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
来歴
[編集]大分県出身[1]。星野太三郎の長男として生まれる[3]。大分県立大分中学校を経て[1]、1925年(大正14年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業した[4]。
同年4月、三井鉱山に入社し、1927年(昭和2年)3月、三井合名会社に転じた[4]三井総元方情報主任となり、司法省刑事局嘱託、内務省警保局嘱託も務めた[5][6]。1942年(昭和17年)4月の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け旧北海道4区から出馬して当選、衆議院議員を1期務めた[2]。この間、翼賛政治会総裁秘書、小磯内閣で小林躋造国務大臣秘書官、行政査察使随員、幣原内閣で海軍参与官、同第二復員参与官などを歴任[2][7]。
戦後、公職追放を経て[注 1]、追放解除後の1952年(昭和27年)の第25回総選挙に旧北海道4区から無所属で立候補したが、落選した。
この他三井建設社長、ラジオ大分社長、大分放送社長、三友新聞社社長、三井不動産顧問、三友住宅協会理事長、別府国際観光社長、大分放送取締役会長、福澤諭吉旧邸保存会会長などを務めた[1][2][6]。
著作
[編集]- 『三井百年』鹿島研究所出版会、1968年。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院 編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ、1993年。
- 追想録星野靖之助刊行委員会 編『星野靖之助追想録』大分放送、1989年。
- 大分合同新聞社編『大分県人名録』大分合同新聞社、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、人事興信所、1943年。