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春名成章

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春名成章

春名 成章(はるな せいしょう、1883年明治16年)12月17日[1] - 1952年昭和27年)9月21日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会昭和会)、外務参与官ジャーナリスト

経歴

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静岡県富士郡今泉村(現在の富士市)出身。鳥取県立鳥取第一中学校を経て、1906年(明治39年)に早稲田大学政治経済学科を卒業した。『時事新報』『東京朝日新聞』『東京日日新聞』の各社で記者を務めた。

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回第20回でも再選を果たした。犬養内閣では床次竹二郎鉄道大臣秘書官を務め、岡田内閣で床次が逓信大臣に就任すると再度秘書官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加[3]1937年(昭和12年)に昭和会が解散すると、第1次近衛内閣で外務参与官に就任した。

終戦後、公職追放となった[4]1951年追放解除[5]

脚注

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  1. ^ 『早稲田大学紳士録』p.702
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿92頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
  5. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。

参考文献

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  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。