春島東四郎
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春島 東四郎(はるしま とうしろう、1875年(明治8年)1月22日[1] - 1937年(昭和12年)10月7日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。
経歴
[編集]鹿児島県阿多郡阿多村(現在の南さつま市)に鮫島東右衛門の二男として生まれる。1899年(明治32年)、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業[1]。著述出版業に従事した後、司法官試補を経て[2]、1905年(明治38年)から弁護士を開業した[1]。また『痛快新聞』『西南新聞』『鹿児島毎日新聞』『鹿児島日日新聞』の社長兼主筆を務めた[2]。1913年(大正2年)より鹿児島市会議員に選ばれ[1]、鹿児島県会議員にも選ばれた[2]。その他に大正貯金株式会社社長、合資会社薩摩銀行頭取などを務めた[2]。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
著書
[編集]- 『モグリ征伐ノ県令評釈』(1910年、金光堂)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。