春陽斎北敬
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春陽斎 北敬(しゅんようさい ほっけい、生没年不詳)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
来歴
[編集]春好斎北洲の門人、大坂の人。作画期は文化10年(1813年)から文政元年(1818年)にかけてで、役者絵を残す。春陽または春陽斎と号し、文政元年に北敬、謹太楼の号と東山閣の印章を用いる。
作品
[編集]- 「よしざね・嵐吉三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化10年4月、大坂角の芝居『小野道風青柳硯』より
- 「けいせい瀬川・叶みんし」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化11年正月、角の芝居『けいせい筑紫■』より[1]
- 「真柴久よし・嵐吉三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化11年8月、角の芝居『比良嶽雪見陣立』より
- 「瀬川将げん・嵐冠十郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※同上
- 「能登守のりつね・嵐吉三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化12年8月、大坂中の芝居『勝鬨莩源氏』より
- 「与次郎・中村歌右衛門」 大判錦絵 ※文化14年4月、角の芝居『猿廻門出諷』より
- 「はいかいし千代・あらし小六 まつだやましろ・あらし吉三郎」 横大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化15年正月、中の芝居『加々見山廓写本』より
- 「奴妻平・嵐吉三郎 秋月大膳・嵐吉三郎」 大判錦絵2枚続 池田文庫所蔵 ※文化13年2月、中の芝居『園雪恋組題』より
- 「ごふくや十兵衛・あらし吉三郎 ぬまづの平さく・あさを工左衛門」 横大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政元年10月、中の芝居『伊賀越道中双六』より
- 「小はぎ実はあつもり・萩野錦子」 大判2枚続の内 池田文庫所蔵 ※文政元年5月、大坂堀江市の側芝居『須磨都座平躑躅』より
脚注
[編集]- ^ ■の字は、「琴」の偏に「夫」の字の旁り。