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春陽館 (岸和田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春陽館
Shunyo-kwan
情報
正式名称 春陽館
完成 1930年
開館 1930年4月
閉館 1962年
収容人員 360人
用途 映画の上映
所在地 596-0035
大阪府岸和田市春木泉町1560番地
アクセス 南海本線春木駅から徒歩15分ほど
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春陽館(しゅんようかん)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。1930年(昭和5年)4月、大阪府泉南郡春木町(現在の同府岸和田市春木泉町)に開館した[1][6]第二次世界大戦後はいち早く復興し、多くの日本映画・輸入映画(洋画)を上映した[4][5]。1962年(昭和37年)に閉館した[11][12]中場利一の小説『えんちゃん 岸和田純情暴れ恋』等に登場する映画館である。

沿革

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データ

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概要

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『岸和田市全図』(『岸和田要鑑』1924年)の北部分抜粋。春木川(地図左上)の北側に「和泉紡績株式会社」工場があり、地図の中心を縦に走る道路が紀州街道。同館はこの6年後、同工場から見て街道の反対側に開館する[6]。地図作成当時、春木地区は泉南郡北掃守村に属していた。

工場労働者を背景に

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1930年(昭和5年)4月、大阪府泉南郡春木町(のちの同府岸和田市春木泉町1560番地、現在の春木泉町5番地23号)に開館した[6]。開館当時の岸和田市内の映画館は、欄干橋南側の魚屋町にあった朝日座(旭座とも、経営・古南米蔵)、堺町の岸和田館(経営・山口藤次郎および吉田常三郎)、北町の電気館(のちの岸和田電気館、経営・西田源次郎)、下野町の吉野倶楽部(経営・奥佐太郎)の4館が存在した[1][6][14][15]。1935年(昭和10年)1月には同市内北町に山村劇場(のちの岸和田東映劇場)、1939年(昭和14年)2月には、本町に岸和田東宝映画劇場が開館している[2][3][6]。開館当時の同館の経営者、観客定員数、興行系統等は不明である[1][15]。同館は紀州街道を北西に入った路地にあり、同街道の東側には和泉紡績の工場(のちの東洋紡春木工場、現在跡地はUR都市機構春木団地)があって[16]、その労働者を背景に立地していた。また、春木川の南側には大阪窯業岸和田分工場(現在跡地は岸和田コーポラス)、岸和田紡績社宅も存在し、多くの人々の労働と生活の地であった(右地図)。同館は、南海鉄道春木駅からは、1キロメートルほど西に離れていた。

1942年(昭和17年)には第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年発行の『映画年鑑 昭和十七年版』には、同館の興行系統については記載されていない[2]。同書によれば、当時の同館の経営者は小南捨三郎、支配人は藤井松太郎と記載されており、観客定員数の記載はない[2]。同年4月1日、同館が位置した春木町は、合併して岸和田市になった[17]。翌1943年(昭和18年)発行の『映画年鑑 昭和十八年版』には、同館の経営者として藤澤武也の名が記されており、観客定員数は405名であったとされる[3]。藤澤武也は、戦後、大阪市大正区大運橋映画劇場(戦前の港賑館)の支配人を務めた人物である[18][19]

戦後

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戦後はいち早く復興しており、1950年(昭和25年)に発行された『映画年鑑 1950』には、同市内の欄に、大映の三番館である岸和田館(堺町1919番地、経営・山口藤次郎)、松竹の二番館である第二電気館(のちの岸和田電気館、北町74番地、経営・岩崎治良)、東宝の三番館と洋画を上映した山村劇場(北町74番地、経営・河合栄)、洋画系の岸和田セントラル(のちの岸和田東宝セントラル劇場、宮本町125番地、経営・山口藤次郎)、東宝の三番館でありヨーロッパ映画も上映した岸和田東宝劇場(岸和田東宝映画劇場、本町219番地、経営・映宝興行および中平邦顕)、そして同館の6館が記載されている[4]。同書によれば、当時の同館の経営者は夜明藤一、観客定員数は360名、興行系統は東宝大映の二番館である[4]。翌1951年(昭和26年)に発行された『映画年鑑 1951』では、同館の経営者は変わらないが、観客定員数は399名に増加、興行系統は東宝・新東宝の三番館に変わっている[5]。1955年(昭和30年)当時の同館は、夜明藤一が支配人を兼ねた個人経営であり、興行系統は松竹・大映であったが[6]、翌1956年(昭和31年)以降は、日本映画のほかに輸入映画(洋画)も上映する映画館になっていた[7]

中場利一の小説『えんちゃん 岸和田純情暴れ恋』(2000年2月発行)には「春陽館という町はずれの映画館」として同館が登場し、「レンガ場のでこぼこ道からアスファルトの道に出て、紀州街道を右折」と、紀州街道を南下するルートでの同館への経路が描写されている。同作は、中場自身の母をモデルにした物語であり、1957年(昭和32年)に同館の存在した岸和田市春木に生まれた中場が、自らの生まれる以前の同館近辺の世界を描いたものである[20]。同年には、山村劇場が岸和田東映劇場と改称して東映の契約封切館となり、同年4月24日には、鍛治屋町の繁華街に岸和田大映(のちに移転して岸和田大劇、経営・同和興行)が開館し、大映二番館として興行を開始している[8][9][21]。これによって、同市内の映画館は合計9館の時代を迎える[8][9]。1959年(昭和34年)には、同館は夜明藤一から向井克巳に売却され、その後は、経営者と支配人を向井が兼ね、興行系統は日本映画各社の下番線に変わった[9][10]

同市内の9館体制のピークは短く、1961年(昭和36年)には山直劇場(岡山町12番地、経営・西川輝男)が[10]、翌1962年(昭和37年)には岸和田東宝映画劇場(本町219番地1号、経営・照屋潔)、吉野倶楽部(下野町517番地、経営・楠原エイ)とともに、同館も閉館している[11][12]。同館を含めた4館の閉館によって、同市内の映画館はわずか5館に減ってしまった[11][12]

同館の跡地は、Google ストリートビューによれば、2009年(平成21年)7月現在、月極駐車場である[13]

脚注

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  1. ^ a b c d e 昭和7年の映画館 大阪府下 31館 Archived 2016年3月5日, at the Wayback Machine.、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2014年2月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 年鑑[1942], p.10-109.
  3. ^ a b c d e f g 年鑑[1943], p.472-473.
  4. ^ a b c d e f 年鑑[1950], p.173.
  5. ^ a b c d e 年鑑[1951], p.389.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 総覧[1955], p.115-116.
  7. ^ a b c d e f 総覧[1956], p.117.
  8. ^ a b c d e 便覧[1958], p.158.
  9. ^ a b c d e f 便覧[1959], p.168.
  10. ^ a b c d e f g 便覧[1961], p.180.
  11. ^ a b c d e f g h 便覧[1962], p.175.
  12. ^ a b c d e f 便覧[1963], p.168.
  13. ^ a b 大阪府岸和田市春木泉町5番地23号Google ストリートビュー、2009年7月撮影、2014年2月3日閲覧。
  14. ^ 総覧[1929], p.282.
  15. ^ a b 総覧[1930], p.583.
  16. ^ 泉南地方争議 寺田紡績 和泉紡績 岸和田紡績 (PDF)大原デジタルアーカイブス、2014年2月3日閲覧。
  17. ^ 廃置ニ伴フ財産処分 昭和17年3月25日大阪府告示第423号岸和田市、2014年2月3日閲覧。
  18. ^ 便覧[1965], p.138.
  19. ^ 便覧[1969], p.128.
  20. ^ えんちゃん 岸和田純情暴れ恋”. KADOKAWA (2004年12月). 2014年2月3日閲覧。
  21. ^ キネ[1957], p.126.

参考文献

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  • 『岸和田要鑑』、市制記念岸和田要鑑編纂所、1924年発行
  • 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行
  • 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
  • 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
  • 『映画年鑑 1950』、時事映画通信社、1950年発行
  • 『映画年鑑 1951』、時事映画通信社、1951年発行
  • 『映画年鑑 1955 別冊 全国映画館総覧』、時事映画通信社、1955年発行
  • 『映画年鑑 1956 別冊 全国映画館総覧』、時事映画通信社、1956年発行
  • キネマ旬報』(5月上旬号(通巻175号)、キネマ旬報社、1957年5月1日発行
  • 『映画年鑑 1958 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1958年発行
  • 『映画年鑑 1959 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1959年発行
  • 『映画年鑑 1961 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1961年発行
  • 『映画年鑑 1962 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1962年発行
  • 『映画年鑑 1963 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1963年発行
  • 『映画年鑑 1965 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1965年発行
  • 『映画年鑑 1969 別冊 映画便覧』、時事映画通信社、1969年発行
  • 『えんちゃん 岸和田純情暴れ恋』、中場利一マガジンハウス、2000年2月 ISBN 4838712154

関連項目

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外部リンク

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