昭礼可汗
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昭礼可汗(しょうれいかがん、拼音:Zhāolǐ Kĕhàn、? - 832年)は、回鶻可汗国の第11代可汗[1]。名は不明。可汗号はアイ・テングリデ・クト・ボルミシュ・アルプ・ビルゲ・カガン(Ay täŋridä qut bolmiš alp bilgä qaγan)[2]といい、唐より昭礼可汗の称号(美称)を加えられた。即位前の称号は曷薩特勤(かつさつテギン)[3]。『旧唐書』では薩特勤、薩特勤可汗と表記。
生涯
[編集]敬宗即位の年(824年)、崇徳可汗が死ぬと、弟の曷薩特勤が立って可汗に即位した。翌年の宝暦元年(825年)5月、唐は曷薩可汗を冊立して愛登里羅汨没蜜施合毘伽昭礼可汗とし、幣12車を賜う。
宝暦2年(826年)、唐は回鶻に馬価絹(ばかけん)[4]50万を賜う。
大和元年(827年)、文宗は中使に命じて絹20万匹を回鶻に賜って馬価とした。
大和3年(829年)1月、中使は絹23万匹を回鶻に賜って馬価とした。
大和6年(832年)、昭礼可汗はその配下に殺され、従子の胡特勤が立って可汗となった。
可敦(カトゥン:皇后)
[編集]脚注
[編集]- ^ 資料によっては第10代。
- ^ 「月天の聖霊より幸を授かりし勇猛にして賢明なるカガン」の意。
- ^ 特勤(テギン、Tägin)とは、突厥や回紇における皇太子もしくは王子に与えられる称号。
- ^ いわゆる「絹馬貿易」によって唐が馬と引き換えに回鶻へ渡す絹織物。回鶻はここで得た絹織物をさらにソグド人を介してシルクロード貿易に使い、西方のガラス製品や絨毯(じゅうたん)・壁掛け・香辛料などを手に入れていた。
参考資料
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