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普門寺 (いわき市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
普門寺

北目観音
所在地 いわき市北目町159番地
北目観音: いわき市北目町189番地
位置 北緯37度3分58.8秒 東経140度53分0.9秒 / 北緯37.066333度 東経140.883583度 / 37.066333; 140.883583座標: 北緯37度3分58.8秒 東経140度53分0.9秒 / 北緯37.066333度 東経140.883583度 / 37.066333; 140.883583
山号 如意山
院号 福聚院
宗派 臨済宗
本尊 釈迦如来
北目観音: 木造如意輪観音坐像
創建年 正応4年(1291年)
開基 痴鈍禅師
中興年 文政年間
中興 禅良上人
正式名 如意山福聚院普門寺
別称 北目観音
札所等 北目観音: 磐城三十三観音 札所第一番
文化財 北目観音: 木造如意輪観音坐像 (いわき市有形文化財(彫刻))
法人番号 7380005006295 ウィキデータを編集
普門寺 (いわき市)の位置(福島県内)
普門寺 (いわき市)
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普門寺(ふもんじ)は、福島県いわき市北目町にある臨済宗の寺院である[1]。山号は如意山、院号は福聚院[1]本尊釈迦如来像だが、境内に建つ観音堂が磐城三十三観音 札所第一番 北目観音であり、そちらの本尊は木造如意輪観音坐像でいわき市有形文化財(彫刻)となっている[1]

歴史

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開基は正応4年(1291年)、痴鈍禅師によると伝わり、当初は胡摩沢の地[脚注 1]にあった[1]慶長8年(1603年)、鳥居忠政平城築城、長源寺建立に際して久保町[脚注 2]に移され、文政年間に火災にあった後に、現在地北目に禅良上人によって再興されたという[1][2]

北目観音

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磐城三十三観音 札所第一番[1]。巡礼歌は「ふだらくや 普(あまね)き門(かど)に みのりをぞ たのみわたらせ 末の川はし」[3]

縁起は定かではないものの、1千年あまりの歴史があると伝わる[1]。観音堂内の箱蓋にある墨書きには、観音堂が正安2年(1300年)に消失したらしい記録がある[4][脚注 3]鎌倉期以降は飯野八幡宮境内にあり、庶民が巡礼し厚い信仰を集めたが、その後現在地北目に再建された[1]

現在の観音堂は元禄13年(1700年)7月、城北積金講の組織の元に建立されたもので、「観音堂」の扁額は、当時の平城主内藤義孝侯抱えの書家、佐々木玄龍の書である[1]

文化財

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釈迦如来像

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本堂の本尊仏[1]。作者および年代などは明らかではない[1]

木造如意輪観音坐像

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観音堂の本尊仏[1]厨子内に安置され、像高は67.2cm、肩幅は26.7cmの一面六臂の像[5]。天衣をまとい裳を着け、輪王座の姿勢を取り、蓮華・輪宝・宝珠・数珠を手に携えている[5]

造りは一部漆箔、カヤ材の寄木造りで、頭部と体幹を共に前後の二材で繋ぎ合わせ、また膝前を別材として繋いでいる[5]。彫りの特徴より鎌倉時代後期から末期の作と考えられる[5]光背と台座は後から補われており、台座には元禄15年(1702年)の墨書きがある[5]。6本の手は全て当初のものと考えられている[5]

1994年(平成6年)3月、いわき市の有形文化財(彫刻)の指定を受けた[1]

仁王像2体

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観音堂内に安置されており、かつては飯野八幡宮にあったものとされる[1][2]

脚注

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  1. ^ 現在の長源寺付近
  2. ^ 吉祥院跡
  3. ^ 「当如意山普門寺観音堂正安二年六月二八日示寂」とある。示寂菩薩の死を意味するが、ここでは観音堂を指すため消失と解釈できる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 普門寺現地案内板
  2. ^ a b 磐城三十三ヶ所霊場 p.7
  3. ^ 磐城三十三ヶ所霊場 p.6
  4. ^ 磐城三十三所観音霊場<改訂版> p.8
  5. ^ a b c d e f 北目観音現地案内板

参考文献

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  • 磐城三十三ヶ所霊場、いわき同行会、1979
  • 磐城三十三所観音霊場<改訂版>、草野日出雄、1987
  • 普門寺現地案内板
  • 北目観音現地案内板

関連項目

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