普門楊心流
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普門楊心流 ふもんようしんりゅう | |
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別名 | 普聞楊心流 |
発生国 | 日本 |
発生年 | 昭和 |
創始者 | 皆木三郎 |
源流 | 高木流 |
派生流派 | 本體楊心流 |
主要技術 | 柔術、棒術、半棒術 |
伝承地 | 兵庫県 |
普門楊心流(ふもんようしんりゅう)とは、高木流柔術から派生した柔術の流派である。
歴史
[編集]高木流柔術の実戦名人であった皆木三郎が昭和十年代に高木流柔術をもとに開いた。
皆木三郎は16歳から角野八平太に就いて高木流柔術と九鬼神流棒術を学び28歳で免許皆伝を受けた。 全国武者修行を行った後、1933年(昭和8年)に東京牛込に高木流道場を開いた。
1939年(昭和14年)に師の角野八平太が亡くなったため、兵庫県神戸市に戻り門人の育成に努めた。
その後、摩耶山の普門の滝で修行して技法の整理編纂を行い柔術・小太刀・棒術・居合の計80本を組んだ。流名は、創始の際に修行した兵庫県の摩耶山中の普門の滝と高木流奥儀の楊の心から普門楊心流とした。
普門楊心流を編み出した後、皆木三郎はさらに内容の改定を行い現在は本體楊心流と称している。
内容
[編集]- 柔術
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- 逆之形表 10本
- 投之形表 10本
- 逆之形裏 10本
- 投之形裏 10本
- 早業 10本
- 太刀捕 5本
- 小太刀入身 5本
- 棒 10本
- 半棒 5本
- 居合 5本
参考文献
[編集]- 多賀谷担「日本の古武道第五回 普聞楊心流」,『人物往来歴史読本』1965年1月,人物往来社