普門院 (江東区)
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福聚山善應寺普門院 | |
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所在地 | 東京都江東区亀戸3-43-3 |
位置 | 北緯35度42分12.6秒 東経139度49分21.0秒 / 北緯35.703500度 東経139.822500度座標: 北緯35度42分12.6秒 東経139度49分21.0秒 / 北緯35.703500度 東経139.822500度 |
山号 | 福聚山[1] |
院号 |
(寺号・院号)善應寺[1] 普門院 |
宗旨 | 新義真言宗 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 大日如来[1] |
創建年 | 1522年(大永2年)[2] |
開山 | 長賢上人[2] |
開基 | 千葉中務大夫自胤[2] |
正式名 |
福聚山善應寺普門院 福聚山善応寺普門院 |
札所等 |
御府内八十八箇所 40番 亀戸七福神 毘沙門天 |
法人番号 | 6010605000248 |
普門院(ふもんいん)は、東京都江東区亀戸にある真言宗智山派の寺院。山号は福聚山。亀戸七福神のうち毘沙門天を祀る。
歴史
[編集]福聚山善應寺普門院は、大永2年(1522年)武蔵国豊島郡三原にあった開基とされる千葉自胤の城中に創建された[2]。創建時の本尊は聖観音で、千葉自胤の家臣佐田善次盛光が冤罪によって斬罪に処されるところ、日頃の信心によって、この観音に身を救われたことから、千葉自胤が感じ入り寺院を建立したのだという[注釈 1]。後に年代不詳ながら別に堂が建てられ、元和2年(1622年)に現在の土地に移った[3]。その際、船で釣鐘を運ぼうとしたところ、誤って隅田川に落としてしまい、これを引き上げることはできなかった。これが鐘ヶ淵の地名の由来となっている[3][注釈 2]。慶安2年(1649年)には徳川家光が立ち寄った際、5石の朱印状を拝領した。安永年間(1772~1781)には栄範上人によって本尊が聖観音から大日如来に改められた。また、江戸期には葛飾区青戸にある薬王山真頂寺宝持院の末寺であった。
文化財
[編集]墓所
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 江戸名所図会 1927, p. 119.
- ^ a b c d 江戸名所図会 1927, p. 120.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 亀戸村.
参考文献
[編集]- 「亀戸村 普門院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ24葛飾郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/110。
- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 福寿山普門院」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、108-121,124頁。NDLJP:1174161/64。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “亀戸七福神”. 江東区サイト (2018年11月8日). 2019年10月12日閲覧。