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普門院 (飯田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天満天神社社殿

普門院(ふもんいん)は、かつて長野県飯田市馬場町3丁目・二本松・仲ノ町に明治初年まであった真言宗の寺院である。

歴史

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飯田城鬼門を守護する祈祷寺として飯田藩藩主・堀家に庇護され、飯田城下の寺院を統括する触頭の役割を与えられたが、明治維新の神仏分離以後は廃寺となった。現在、天満天神社として残る天満宮は、かつて藩祖三代の霊を祀った同寺の鎮守であった[1]

現状

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廃寺の後、普門院の山門は長久寺(飯田市諏訪町)へ、通用門が願王寺(飯田市上山)へ移築され、跡地には天満天神社(天満宮)が残っている。天満天神社の現在の社殿は1721年享保6年)に改築され、堀家の家紋「丸に向梅」がつけられている。

糸桜

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天満天神社と道路を隔てた北側に糸桜(シダレザクラ)と歌碑がある。現在の跡地にあるものは三代目で推定樹齢約40年[2]。この桜は、もともと普門院の中に祀られていたもので、廃寺の時に願王寺に移されたが、祠のみ旧地に戻された。

歌碑には堀親寚の奥方成子の自筆の和歌

むかし誰 うゑそめてかくいと桜 いとなかく世に たえぬかほりそ

が刻まれている[3]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 『カミとホトケの交渉史:廃仏毀釈の爪跡(飯田市美術博物館 特別展)』飯田市美術博物館、2013年、p.74
  2. ^ 『一本桜の里 南信州・伊那谷』森田和市/監修、おさひめ書房、2009年、p.79
  3. ^ 『飯田城ガイドブック:飯田城とその城下町をさぐろう』飯田市美術博物館、2005年、p.100

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯35度30分53.5秒 東経137度49分54.4秒 / 北緯35.514861度 東経137.831778度 / 35.514861; 137.831778