晴山村
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はれやまむら 晴山村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 晴山村、軽米町、小軽米村 → 軽米町 |
現在の自治体 | 軽米町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 九戸郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 48.32 km2. |
総人口 |
4,651人 (『岩手県町村合併誌』、1954年11月) |
隣接自治体 |
岩手県: 九戸郡:軽米町、江刺家村 二戸郡:金田一村、爾薩体村 青森県: 三戸郡:名久井村、中沢村 |
晴山村役場 | |
所在地 | 岩手県九戸郡晴山村晴山第25地割1 |
座標 | 北緯40度19分30秒 東経141度22分29秒 / 北緯40.32508度 東経141.37478度座標: 北緯40度19分30秒 東経141度22分29秒 / 北緯40.32508度 東経141.37478度 |
ウィキプロジェクト |
晴山村(はれやまむら)は、1954年(昭和29年)まで岩手県九戸郡の北西部に存在していた村。現在の軽米町晴山・狄塚・山内にあたる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、晴山村・狄塚村・山内村の計3か村が合併して新制の北九戸郡晴山村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 南九戸郡と北九戸郡が合併して九戸郡が成立[1]。九戸郡晴山村となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 軽米町[2]・小軽米村と合併し、新制の軽米町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 古里小八郎 | 明治26年(1893年)5月19日 | 明治30年(1897年)5月11日 | |
2 | 小笠原弥三郎 | 明治30年(1897年)6月2日 | 明治32年(1899年)8月31日 | |
3 | 野田長愨 | 明治32年(1899年)9月5日 | 明治33年(1900年)2月19日 | |
4 | 関満喜治 | 明治33年(1900年)4月4日 | 明治35年(1902年)4月12日 | |
5 | 七戸直記 | 明治35年(1902年)10月30日 | 明治36年(1903年)9月8日 | |
6 | 小笠原助蔵 | 明治37年(1904年)2月26日 | 明治40年(1907年)5月15日 | |
7 | 古里亀太郎 | 明治40年(1907年)6月14日 | 明治41年(1908年)2月25日 | |
8 | 目時克郎 | 明治41年(1908年)3月9日 | 明治42年(1909年)5月5日 | |
9 - 11 | 豊巻太郎吉 | 明治42年(1909年)8月18日 | 大正10年(1921年)8月17日 | |
12 - 13 | 川崎忠作 | 大正11年(1922年)9月8日 | 大正14年(1925年)9月7日 | |
14 | 吉里政次郎 | 大正14年(1925年)10月30日 | 昭和4年(1929年)2月27日 | |
15 | 小笠原利吉 | 昭和4年(1929年)5月29日 | 昭和8年(1933年)5月28日 | |
16 - 17 | 本田音吉 | 昭和8年(1933年)5月29日 | 昭和14年(1939年)3月15日 | |
18 - 19 | 滝沢仁三郎 | 昭和14年(1939年)4月8日 | 昭和21年(1946年)11月15日 | |
20 - 21 | 並岡武男 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和29年(1954年)12月31日 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)
関連項目
[編集]- 岩手県の廃止市町村一覧
- 晴山館址 - 九戸政実の乱で九戸方の大将格だった晴山治部少輔の居城とされる。